ジョー・アドニス
(Joe Adonis)
1902年11月22日 - 1972年11月26日
イタリアおよびアメリカの犯罪組織コーサ・ノストラの幹部
本 名 ジュゼッペ・アントニオ・ドート
ナポリの近くのモンテマラーノで生まれ、幼いころから
スリなどの犯罪
に手を染め、1915年、アメリカに不法入国しブルックリンに定住
の知故を得てジョー・アドニスと名乗るようになった。
アドニスは部下の面倒見が良く、仲間内から尊敬の念を持って
ジョー・A
と呼ばれていた。
ルチアーノとの縁で
の組織に加入し構成員になった。
マッセリアがライバルの
と抗争に入ると、ルチアーノに同調して密かにマランツァーノに寝返った。
その後、ルチアーノがマランツァーノの地位を奪いコーサ・ノストラの最高幹部に就任するとすると、1932年からブルックリンの縄張りを任されている。
1936年から始まった連邦政府による組織犯罪摘発でルチアーノが逮捕されイタリアに追放されると、ルチアーノの指示を受けながらその代役を務めた。
パイピングロックという賭博場のオーナーの一人で、フロリダ州、ルイジアナ州、カリフォルニア州などでもカジノを経営していた。
競馬場、私設馬券場、競馬通信社を乗っ取り、掛け率をコントロールして莫大な利益を得ていた。
なお、1953年にアドニスは
キーファーヴァー委員会
に召還されて不法入国者として追及され同年の8月、イタリアに追放された。
タリアに戻ってから、先に追放されていたルチアーノの定住先となっていたナポリで悠々自適の生活を送った。
なお、ルチアーノはアドニスがアメリカの組織運営をジェノヴェーゼに託してきたことが気に入らなかったようだともいわれている。
1972年11月26日、アドニスはローマ警察からの尋問中に心筋梗塞を起こして死亡した。