アムシェル・モーゼス・ロートシルト(Amschel Moses Rothschild)
1710年頃 - 1755年10月6日
神聖ローマ帝国の自由都市フランクフルトのユダヤ人ゲットー(現在のドイツ)であるユーデンガッセで、両替商と絹織物の貿易を行っていたドイツ系ユダヤ人であった。
彼の息子マイアー・アムシェル・ロートシルトは、ロスチャイルド家の祖となった。
アムシェル・モーゼス・ロスチャイルドは、
モーゼス・カルマン・ロスチャイルド(1735年10月19日没)
の息子として、1710年頃に生まれた。
フランクフルト・ゲットーは、1462年に
皇帝フリードリヒ3世
の介入によって設立された。
ロスチャイルド家の最初の一族は、ユーデンガッセ69番地にあるツム・ローテン・シルト(ドイツ語で「赤い盾」の意味)と呼ばれる家に住んでいたとされている。
なお、ロスチャイルドという名前は、イディッシュ語で紋章の「赤いコート」を意味する。
イザーク・エルチャナン・バカラック(1585年没)は1567年頃にこの建物を建て、「ロスチャイルド」という名前を使い始めた。彼の子孫は1664年に188番地の裏手の
ツア・プファンネ(「パン」の意味)
と呼ばれる建物に移転した後も、この名前を使い続けた。
ロスチャイルドは小さな店を経営しており、1749年の納税記録によると、その資産は1,375ギルダーとかなり高額だった。
彼はシェーンケ・レヒニヒ(1756年6月29日没)と結婚した。
二人の間には8人の子供が生まれ、そのうち5人が成人まで生き残った。
ロスチャイルドの息子たちはフランクフルトの学院に通った。
特に四男のマイヤー・アムシェル・ロスチャイルド(1744-1812)はフュルトのイェシーバー(ユダヤ教神学校)に入学した。
ただ、両親が早く亡くなったことにより学業を断念せざるを得なかった。
彼は後にロスチャイルド国際銀行王朝の創始者となった。
なお、アムシェル・モーゼス・ロスチャイルドは1755年、フランクフルトのゲットーで天然痘の流行により亡くなった。
彼はフランクフルトのバトン通り墓地に埋葬された。

