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2010年05月08日

ヘンリー・フォード(Henry Ford) 自動車会社フォード・モーターの創設者

ヘンリー・フォード(Henry Ford)
   1863年7月30日 - 1947年4月7日
 自動車会社フォード・モーターの創設者
 農場を経営するアイルランド系移民
   ウィリアム・フォード
   メアリ・フォード
の間で6人兄弟の長男としてディアボーン(ミシガン州)で生まれた。
 幼少期から機械いじりを趣味としており12歳の頃には、自分で設備を整えた機械整備店でほとんどの時間を費やすようになった。
 フォードは15歳で、自力で内燃機関の組み立てを行っている。

 1879年フォード16歳の時に家を離れ、デトロイトで見習い機械工として就職した。
 2社で雇用され見習い期間を終えたフォードは
にガソリンエンジン工として就職した。

 その後、1888年には
   クララ・ブライアント
と結婚し、製材所経営によって経済的安定を確保できるようになった。

 エジソン照明会社の技術者として1891年に就職し
   チーフ・エンジニア
として1893年に昇進したことで
   内燃機関の個人的な実験
に十分な時間と金銭を費やすことが出来るようになった。

 フォードは1896年6月4日にはじめての
   自作4輪自動車
の製作に成功し、試運転を行った。
 この自作4輪自動車の成功の後、フォードはエジソン照明会社を退社した。

 フォードは他の起業家の応援を受け
   デトロイト自動車会社
     (Detroit Automobile Company)
を創業した。

 副社長兼チーフ・エンジニアに就いたフォードは
   自社の性能が優れたところ
を見せるために、他社の自動車との
   競走に力を入れ設計改良試みた
ものの販売不振で会社はまもなく破産している。
 フォードは4年後には2番目の会社となる
   ヘンリー・フォード・カンパニー
を設立、出資者の要請で
も会社運営に加わった。

 フォードはこの時期も米国初の自動車製造販売会社
   ウィントン・モーター・キャリッジ・カンパニー
の創業者
   アレクサンダー・ウィントン
らとカーレースで競い合って
   会社資産を車の開発
に過度の流用等を行ったため1902年にリーランドを含む他の共同起業者達から会社を追放された。
 なお、フォードが去った後、この会社は後のGMを構成する事業部門ともなった
   キャディラック
と社名を変更した。

 1903年6月16日にフォードは11人の投資家と共に、28,000ドルの資金で
   フォード・モーター・カンパニー
を創設した。

 フォードは自社が、新しく設計した車の性能を見せるため
   セント・クレア湖
の氷上1マイルを走り
    39.4秒(91.37 mph=147.05 km/h)
の記録を出し、自動車速度の世界新記録を樹立した。
 また、自動車レースインディ500の最初期の後援者ともなった。

 フォードは、労働者に対して独特な考えをもっており、当時としては珍しかった
   8時間労働
   1日あたり5ドルの賃金
という厚遇を与えた。
 その目的は
   労働の質
を高め、生産計画の都合で一時帰休などが生じても
   熟練した労働者
が他に移らないようにするためであることと
   T型を購入させる
収入を確保量産化を後押しすることが目的であった。
 なお、T型フォード生産の最盛期には、賃金は1日あたり6ドルとなった。

 ただ、フォードは労働組合には強硬に反対し
   組合潰しの専門家
を雇ったりもしていた。
 1941年全米自動車労働者組合は、フォードの組合政策に抗議する座り込み、ストライキが行われた。フォードは部分的には妥協したが、フォード社における組合の完全な結成は、フォードが退社した1945年まで行われなかった。

 フォードは反ユダヤ主義的思想を持っていたといわれ1918年に買収したミシガンの
   地方紙 ディアボーン・インディペンデント
で反ユダヤキャンペーンを行った。
 なお、同紙の反ユダヤ主義は反共主義とも通じており
   共産主義者の75%がユダヤ人
である等という記事も掲載されたこともある。
 この新聞はフォード車のディーラーの店頭に置かれて販売されたため、ユダヤ系市民の間でフォード車の不買運動が発生している。

 また、1920年、フォードは『国際ユダヤ人』という書籍を発売した。

 これは偽書とされる
   シオン賢者の議定書
から着想を得た本であり、16か国語で翻訳された。

 なお、ナチス指導者となった
   アドルフ・ヒトラー
も読者の一人であり、彼の著書
   我が闘争
には、『国際ユダヤ人』からの引用と思われる部分も存在している。

    
posted by まねきねこ at 09:30| Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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