Jason Jay Gould
(1836年5月27日-1892年12月2日)
アメリカ合衆国の資本家で鉄道開発家として知られる。
また、投機家として、長い間典型的な
泥棒男爵
と誹られてきた悪徳資本家のひとり。
ロクスベリー(ニューヨーク州)で、イギリス系の
ジョン・バー・グールド
(John Burr Gould 1792年-1866年)
とスコットランド系の
メアリー・ムーア・グールド タマニーホール
にグールドとジェイムズ・フィスクが関わるようになった。
グールドとジェイムズ・フィスク等はエリー鉄道の社長に
ウィリアム・”ボス”・ツィード
(William "Boss" Tweed)
を据え、ツイードはその見返りに彼等に有利な法律を手配した。
なお、ツイードとグールドは1869年に共和党支持者の
トーマス・ナスト
(Thomas Nast)
の政治風刺漫画の題材にされた。
ツイードが1871年10月に100万ドルの保釈金を積んだとき、グールドが主保証人にとなっている。
グールドとフィスクは、1869年8月、金価格の上昇の影響が西部の農夫の売りたい小麦価格を上昇させ、東部のパン原料輸送料を増やし、エリー鉄道の荷受量増加に繋がるといった相乗関係による利益の最大化を目論んで、市場を買い占めるため金取引を拡大し始めた。
グールドは南北戦争北軍の将軍から第18代大統領になった
ユリシーズ・グラント
は北軍の少将バターフィールドをアメリカ合衆国財務官補に指名した。
また、大統領の義弟
アベル・コービン
との接触を利用して、大統領とその国務長官
ホレス・ポーター
への影響力行使を図った。
バターフィールドはコービンや投機家のジェイ・グールドとジェイムズ・フィスクに、米国政府が金を売ろうとしている時は教えることに合意した。
もしバターフィールドが金売却の情報を漏らせば、グールドとフィスクは金価格が値を崩す前に売り逃げようと画策していた。
グールドとフィスクによる金投機が1869年9月24日の「暗黒の金曜日」と言われる恐慌まで登り詰めた影響から、20ドル金貨表面価格に対する割増率は62%から35%まで下がった。
ただ、2人の目論みは外れ、米国政府保有の金400万ドルの売却はバターフィールドに告げられることなく高値で売り抜けが実行されたのち、グラントによって計画が暴かれた。
その結果、1869年9月24日に「暗黒の金曜日」として知られる金市場の崩壊という恐慌に繋がった。
グールドはこの金史上の操作で名目利益を得たが、その後の訴訟で利益の大部分を失った。
グールドは、1873年、移民用の土地を物色していたコットランドのハイランド地方最大の氏族のひとつ
キャンベル氏族
(Clan Campbell)
の従兄弟
ゴードン=ゴードン卿
からの海外投資を得ることで
エリー鉄道
を支配しようと目論み、グールドはゴードン=ゴードンに株式で10万ドルの賄賂を贈った。
しかし、ゴードン=ゴードンはいわゆる詐欺師であり、直ぐにその株を現金に換えてしまった。
グールドはゴードンを告発し、その裁判が1873年3月に行われた。
ゴードンは法廷でヨーロッパの有力者の名前を出して召還を請求し、その照会が行われる間に保釈を認められた。
ゴードンはこの機会を利用してカナダに逃亡した。
そこでカナダの司法当局に対し、グールドの告発は嘘だと説得し成功した。
グールドはゴードンの引き渡しに失敗したため、後にミネソタ州知事になった者2人と、合衆国下院議員になった者3人を含む仲間達と、ゴードン=ゴードンの誘拐を試みた。
この誘拐集団はゴードンの誘拐には成功した。
しかし、アメリカ合衆国に戻ろうと国境を越える前に
王立カナダ騎馬警察
に不審行動を疑われ、通過を止められ逮捕されてしまった。
誘拐実行者達は監獄に入れられ、保釈も裁判所で却下されてしまった。
こうした違法行為ために、グールドはエリー鉄道完全支配の可能性を喪失した。
意識を一新して、1879年にグールドは
ユニオン・パシフィック鉄道
ミズーリ・パシフィック鉄道
を含み西部の鉄道4社を支配することで中西部の鉄道システムを作り上げることを始めた。
1880年には1万マイル (16,000 km) の鉄道を支配した。
これは当時のアメリカ合衆国全体の鉄道路線のほぼ9分の1となり、1882年までに15%を支配するようになった。
グールドは1833年に連邦政府に対する負債で政治的論争の渦中に引き込まれていたユニオン・パシフィックの管理から撤退したことで大きな利潤を得ることが出来た。
グールドは別に
ウエスタンユニオン電信会社
(Western Union)
を支配するようになり、1881年以降はニューヨーク市の高架鉄道も手に入れている。
最終的に1868年から1888年の期間に米国で最大の鉄道財務運営会社の多くに関係を持った。
なお、サウスウェスト鉄道で1886年に起きた大ストライキの間にはスト破りを雇った。
労働組合活動家に拠れば、当時のグールドは
私なら労働階級の半分を雇って残り半分を殺すこともできる
と言ったと言われている。
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