徳田 昂平 (とくだ こうへい)
1878年(明治11年)5月- 1951年(昭和26年)10月5日)
日本の実業家、相場師
徳田商会(のちの内外証券、東海東京証券)社長
日本証券取引所総裁、貴族院議員、大蔵省証券取引委員会委員長等を務めた。
山梨県出身で旧制甲府中学(のちの山梨県立甲府第一高等学校)を経て、東京高等商業学校(のちの一橋大学)を卒業。
山梨銀行等を経て、1897年徳田商会に入社した。
入社後頭角を現し、3年後に支配人に就任した。
徳田商会創業者の徳田孝平の婿養子となり、ロンドンに3年間留学した。
その後、ニューヨークのウォール街の仲買店で株式仲買を学んだ。
1918年株式会社徳田商会に改組し社長に就任した。
1924年から1933年まで東株一般取引組合委員長に就任した。
また、東京商工会議所副会長や日本証券取引所総裁を務め、1946年6月8日、貴族院勅選議員に任じられた。
研究会に所属して1947年5月2日の貴族院廃止まで在任した。
同年、大蔵省証券取引委員会委員長に就任した。
東京板紙株を巡る富士製紙と樺太工業の買収合戦では、山一證券の初代社長の
杉野喜精
とともに事態の収拾にあたった。
1951年10月5日、下腹部の腫瘍が悪化し、ガン研究会附属分院にて死去した。