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2010年06月29日

渋沢 成一郎

渋沢 成一郎
 (1838年7月30日 - 1912年8 月30日)
 江戸時代の武士、明治時代の実業家
 渋沢栄一の従兄で号は廬陰、明治以降は渋沢喜作と改名している。→ ranking

 武蔵国血洗島村(現埼玉県深谷市)の農民・渋沢文左衛門(文平)の長男として生まれ、尊皇攘夷の志をもった親戚の篤太夫(のちの渋沢栄一)らと共に高崎城乗っ取り計画を計画するも頓挫し出奔、一旦は江戸へ逃れ、元治元年(1864 年)、一橋家当主一橋慶喜に仕えた。→ ranking
 
 当初は四石一人扶持だったが、一橋家農兵の徴募係として各地の農村との交渉役を経て、その功績が認められ、慶応2年(1866年)に陸軍附調役に昇格して百俵の扶持米が与えられた。→ ranking
 
 慶応3 年(1867 年)には、一橋家当主だった慶喜が将軍になると奥右筆に任じられ、上京している。
 
 慶応4年(1868年)、戊辰戦争が起こると、鳥羽・伏見の戦いに参戦した。江戸帰還後、将軍警護を主張し、自分と意思を同じくする幕臣等を集め、彰義隊を結成し、頭取に就任した。→ ranking

 同年3月、結城藩青山隼太らに依頼され、同藩の内紛仲裁のため、織田主膳を隊長とした一隊を結城に派遣、のちの結城戦争に発展した。

 同年4月、徳川慶喜が謹慎場所を江戸から水戸へ移すと、彰義隊の内部対立が起こり、副頭取の天野八郎と対立し、彰義隊を脱退した。→ ranking

 脱退者有志により振武隊を編成し、武蔵国入間郡飯能(現埼玉県飯能市)の能仁寺を本営とし官軍と抗するも、敗戦退却し、東北各地で転戦、最後は榎本武揚率いる旧幕府脱走軍とともに箱館まで帯同し、小彰義隊頭取に就任した。→ ranking
 
 明治2 年(1869 年)5月18日、箱館政府降伏にともない投降した。
 明治時代は、喜作と改名し、栄一の仲介で大蔵省に入る。
 
 出仕後、近代的製糸産業の調査のためヨーロッパに渡航。帰国後の明治6年(1873年) に大蔵省の退職。→ ranking

 経済の才能を見込まれ、小野組に入る。のちに相場師、実業家として手腕を発揮し、後に生糸貿易業、廻米問屋などを経営するなど、明治時代の実業家として大きな成功を収めた。→ ranking
 
posted by まねきねこ at 00:00| Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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