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2024年07月29日

神屋紹策(かみやしょうさく) 江戸幕府初期に至る博多の豪商 屋号 神屋 

神屋紹策(かみやしょうさく) 
 安土桃山時代の織豊政権より江戸幕府初期に至る博多の豪商神屋家5代当主
 茶人としても有名
 幼名善四郎,字は貞清
 神屋家は室町中期より代々博多の主だった豪商として知られる。
 2代目主計は1539年(天文8)に
   遣明船
の総船頭をつとめるなど,一族とともにたびたび遣明船貿易に従事した。
 また、貿易の関係で従来から神屋家は出雲の
   鷺銅山
の銅を求めていたが、祖父の3代目寿貞によって鉛を媒剤とする
   銀の製錬技術
を輸入し、1533年他の博多の吹工の協力を得て石見銀山の経営に成功したと言われている。

 なお息子の神屋 宗湛(かみや そうたん、天文20年1月1日(1551年2月6日) - 寛永12年10月28日(1635年12月7日))は天正10年(1582年)5月、同じ博多の豪商島井宗室と共に上洛し、時の天下人・織田信長と近江国安土城にて謁見した。
 信長の保護を得ることで、当時九州で勢力を拡大していた島津氏を牽制するとともに、豪商としての地位をさらに極めようと考えた。
 続いて二人は上洛すると本能寺で再び信長と謁見したうえ、そのまま本能寺に宿泊して本能寺の変に巻き込まれた。
 燃える本能寺から脱出する際に、宗湛は信長愛蔵の牧谿・『遠浦帰帆図』(現・重要文化財)を、宗室は空海直筆の『千字文』を持ち出した。
 現在『遠浦帰帆図』は京都国立博物館に『千字文』は博多の東長寺に収められている。
   
   
posted by まねきねこ at 19:00| Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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