伊藤 惣十郎(いとう そうじゅうろう)
生没年未詳
戦国末〜安土・桃山時代の豪商で法名を安中という。
清須(きよす)(愛知県清須(きよす)市)に住み
織田信長
に仕えた尾張(おわり)商人のひとり。
1572年(元亀3)12月、信長より朱印状を与えられ、改めて尾張・美濃(みの)両国における
唐人方(輸入呉服)
国産呉服方
の商人司に任命され、両国における
役銭の徴収
他国商人の監督に
あたった。
以後、織田信忠・信雄、豊臣秀次、徳川(松平)忠吉からも印判状を与えられている。
徳川家康が慶長14年(1609年)、熱田台地に新たに城(現在の名古屋城)を築き、新しい都市を開発することを指示した。
慶長15年(1610年)、西国諸大名の助役による天下普請で、名古屋城の築城が開始されたこともあり、助三郎(惣十郎の次代か)が名古屋に移り、店を開き後の伊藤松坂屋(大丸松坂屋)となった。