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2010年02月12日

デュポン Du Pont

 米国の化学会社で規模は世界第3位・米国で第2位(世界最大はBASF)となっている。

 正式社名

  E. I. du Pont de Nemours and Company

  本 社 ウィルミントン市(デラウェア州)
  創 業 1802年
  資本金 111億3,600万USドル
 

 創業者はフランス出身のエルテール・イレネー・デュポン
 
 
 メロン財閥ロックフェラー財閥と並ぶアメリカの三大財閥と称される。
 
  
(経 歴)
 初代エルテールはフランス革命を避けて米国に一家で移住した。
 フランスではアントワーヌ・ラヴォアジエに師事し化学を学んだ。
 米国に移住し1802年に黒色火薬工場としてデュポン社を設立した。
 
 徹底的な品質管理と安全対策、そして高品質により
   アメリカ政府
の信頼を勝ち取り、やがて20世紀に入りダイナマイトや無煙火薬などを製造するようになった。

 第一次世界大戦・第二次世界大戦で火薬や爆弾を供給し
   マンハッタン計画
においてテネシー州のオークリッジ国立研究所でウラニウムやプルトニウムを製造するなどアメリカの戦争を背後で支えた。

 
 デュポン家からはアメリカ合衆国海軍で海軍少将の位に登った海軍士官
   サミュエル・フランシス・デュポン
が出ており、米墨戦争と南北戦争で傑出した働きをし、海軍兵学校校長を務め、アメリカ海軍の近代化に重要な貢献を果たした。
  

 黎明期にあった自動車産業においてビュイック・モーター(1903年創業)の経営を1904年に任された
   ウイリアム・C・デュラント
が社長としてビュイックを全米有数の自動車メーカーに育て上げ1908年9月16日にミシガン州フリントで組織した持株会社がゼネラルモーターズ(GM)となる。
 
 
 デュラントはゼネラルモーターズ創設後、1908年末にオールズモビルを買収、翌年にはキャディラック、エルモア、オークランド(後のポンティアック)などを買収し、GM傘下とし、その後もミシガン州周辺のトラックメーカーを次々買収した。
 
 販売が景気低迷で伸びない中、買収費用がかさんだことにより
   100万ドルの負債
を抱えてしまい、1910年に債権者である
   バンカーズ・トラスト
に会社の支配権を握られて社長を解任されてしまう。
 
 なお、バンカーズ・トラストは1861年に設立され金融財閥として成長していく
   J・P・モルガン商会
から1903年に投資銀行部門が分離独立して造られた投資銀行である。
 
 
 デュラントはその後、シボレーの創立(1911年)に関わり、黎明期にあった自動車産業に着目していた
    ピエール・S・デュポン
が資金力を背景に1914年からGMの株を買い進んでおり、ピエールの協力を得て自らも買い戻した株の支配で1916年に社長に返り咲いた。
 
 
 ただ、1920年には路線の対立からピエール・デュポンはデュラントをGMから追い出し、GMの実権を奪い、社長として擁立した
   アルフレッド・スローン
を据えて経営させ、ローン販売の取り入れなどによって、政争に揺れたフォードを抜いて世界最大の自動車生産会社として君臨した。
 
 
 なお、デュポンから出資を受けた自動車メーカー
   オーバーン
では1929年に
   デュポン・ボートテール・スピードスター
を製造販売するなど中小自動車メーカーへの出資が多数見られる。

 
 
 シャーマン反トラスト法によって1912年には
   火薬市場の独占
が、1950年代にはGM株の保有が問題視され
   火薬事業の分割
   保有GM株の放出
などを強いられた。
 
 しかし、事業分割と同属企業群等に保有株券を配分(現在、日本で行われているグループ企業における株の相互持合い)することにより、デュポン家は実質的な支配権を手放すことなく難を逃れているようである。 
  
 
   
  
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posted by まねきねこ at 04:00| Comment(0) | よもやまばなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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