ロスチャイルド
(ロートシルト Rothschild)
主にイギリスで金融業を中心に活動しているユダヤ系の財閥
(赤い盾の意味、ローチルトとも)
金融業のモーゼス・アムシェル・バウアーの息子である初代の
マイアー・アムシェル・ロートシルト
Mayer Amschel Rothschild
(1744年2月23日 - 1812年9月19日)
が改名し、フランクフルト・アム・マインで開いた
古銭商・両替商
に端を発し、ヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム9世との結びつきで経営の基礎を築いたといわれている。
ヨーロッパに支店網を築き、彼の5人の息子がフランクフルト・ロンドン・パリ・ウィーン・ナポリの各支店を担当、相互に助け合いながら現在のロスチャイルドの基盤を築いた。
ロンドンのネイサン(1777-1836年)とパリのジェームスが成功を収めた。
ネイサンはナポレオンが欧州を席巻する中で金融取引で活躍、ワーテルローの戦いでナポレオン敗退の報をいち早く知ると、
株取引で巨額の利益を得た
ことでも知られる。
また、英国政府にスエズ運河買収の資金を提供したり、第一次世界大戦の際にユダヤ人国家の建国を約束させる(バルフォア宣言)など、政治にも多大な影響力を持った。
日露戦争では、膨大な戦費をまかなうため日本は
外貨建て国債
を発行したが、バクー油田の利権と帝政ロシアとの金融取引の関係で表面的な支援が出来ないため、米国の銀行家ジェイコブ・シフを紹介し支援を申し出させ、外債募集の引き受け業務をさせた。
ただ、日本は戦争に勝ったもののロシアから賠償金が獲得できず、その後、安く買い叩いて購入した日本の国債を大量に買い占めたロスチャイルド家に、償還まで高金利を払い続けることになった。
この為に、日露戦争で最も利益を得たのはロスチャイルド家のみとも言われる。
また、ジェームスは当時の成長産業だった鉄道に着目し、パリ〜ブリュッセル間の
北部鉄道を基盤に事業を拡大
していった。
パリのジェームスは、1870年に資金難にあえいでいた
バチカンに資金援助
を行い強固なパイプを形成したことで、ロスチャイルド銀行は、ロスチャイルドのバックアップにより設立された。
ヴァチカン銀行
(正式名称 宗教活動協会)
の投資業務と資金管理を行う主力行となった。
現在、バチカン銀行の投資顧問としては、ロンドン・ロスチャイルド銀行とハンブローズ銀行(Hambros Bank)、クレディ・スイスがヨーロッパと世界戦略を担当している。
第二次世界大戦後、金融をはじめ石油・鉱業・マスコミ・軍需産業・製薬など多くの企業を傘下に置いている。