クーン・ローブ商会
ジェイコブ・シフ(ヤコブ・シップ)が運営した投資銀行で合併を繰り返し、リーマン・ブラザーズの機関部門として存続した。
この商会の創設者は、
で、この両家の名前を組み合わせてクーン・ローブ商会となった。
クーン家の娘イーダとローブ家の息子モリスが結婚し同族となった。
そのソロモン・ローブの娘と結婚したのが
日露戦争
で日本が戦費国債を販売する時に、ロスチャイルドの意を受けて資金を提供したジェイコブ・シフであった。
シフは1847年にフランクフルトに生まれた。
ジェイコブ本人の両親は銀行家ではなかったもののシフ一族は早くから金融業を営んでいた。
初代ロスチャイルドが40代の頃(1785年)、引越した家が
緑の盾
と呼ばれる建物で、内部が二つの区画に分かれており、一方に、扉に船の絵を掲げたユダヤ人家族が住んでいた。
船をドイツ語でシフと言うが、この家族がジェイコブ・シフの祖先だった。
ロスチャイルド家と同じ家の中で育てられたジェイコブは、目先の利く少年としてこの世界を早くから知り尽くし、ロスチャイルドの指示により18歳でアメリカに移住した。
クーン・ローブ一族となってからは、アメリカ大陸横断鉄道を完成した
ユニオン・パシフィック鉄道
に融資するなど、次々と鉄道事業で商会を成長させた。
オットー・カーン、あるいはウォーバーグ銀行の
らをパートナーとして迎え、国際投資銀行としての地歩を築いていった。
このカーンやウォーバーグを右腕として、ジェイコブ・シフは
ジェームズ・ヒル(鉄道王)
エドワード・ハリマン
ジェームズ・スティルマン(ロックフェラー一族の銀行家)
たちアメリカの大富豪と次々に親交を深めていった。
そのためクーン・ローブ商会は互いにビジネス戦争の渦中にある産業界の大物達のどちらからも利益をあげることができた。
日露戦争の時、ロンドンのロスチャイルド家は、ロシア皇帝の許可によって
バクー油田の利権
を獲得していたから、表向きはロシアに敵対する日本の高橋是清を追い返した。
しかし、裏ではシフの手を通じて日本の公債を買い付けたうえで、日露戦争の状況が明らかになってくると、
を通じて自ら日本公債を静かに買い集め莫大な利益を確保した。
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