石見銀山は、鎌倉時代末期の延慶2年(1309)、守護大名である大内氏により発見されました。
16世紀〜17世紀の約100年の間には大量の銀が採掘され、中国地方の戦国大名の大内氏、尼子氏、毛利氏と支配者が変遷し、軍資金や全国統一後の江戸幕府の財源として使われました。
本格的な開発は大永6年(1526)神屋寿禎によって始められ、その後16世紀中頃から17世紀にかけて最盛期を迎えました。
また、石見銀山が佐摩村にあったことから
ソーマ(Soma)銀
と呼ばれ、海外にも数多く輸出され、中国や朝鮮半島などのアジア諸国とポルトガルやスペインなどのヨーロッパ諸国を交易で結ぶ役割の一端を担いました。
17世紀前半の石見銀の産出量は年間約1万貫(約38tで、世界の産出銀の約3分の1を占め、日本銀のかなりの部分を産出していたと考えられます。
次第に銀の産出が減少してからは銅山として稼働しました。
鉱脈がなくなり1923年(大正12)に閉山しました。
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2009年10月07日
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