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2009年12月20日

マイケル・ミルケン Michael Robert Milken

マイケル・ロバート・ミルケン
    Michael Robert Milken
   (1946年7月4日 - )

 米国の投資銀行家、慈善事業家として知られる。
 ジャンクボンドの帝王(Junk Bond King)として1980年代には市場を席巻した。

 カリフォルニア大学バークレー校を首席で卒業
 ペンシルベニア大学ウォートン・スクールでMBAを取得

 1969年に弱小投資銀行だった

   ドレクセル・ファイアストーン
    (ドレクセル・バーナム・ランバート)

に入社し、投資銀行家としてのキャリアをスタートさせた。
    ドレクセル・ファイアストーンでは一般的に一流投資銀行が幹事となる一流会社の評価(AAA等)と比べて、評価が低い債券を取り扱っていた。

 信用度の低い企業の債券などはデフォルトとなるリスクも高いことから相対的に市場価格が安くなり、投資銀行の手数料も当然低いこととなった。
 それゆえ会社も売って資金を集める目的から当然、利回りを高めに設定して償還しようとした。

 ミルケンは、ここに目をつけて、リスクを別の方法で計算した場合に、実際の利回りと乖離ができる点に注目した。


 格付外の社債をひとつずつ売るのではなく

    パッケージにして組み合わせた場合

全てがデフォルトする可能性は低くなり、更に複数の債権を組む際に、市場価格、リスク率、利回りなどを勘案してポートフォリオを作成すれば、最終的に計算の上でメリットがデメリットよりも高くなると考え短期間で利益の出る

   安い金融商品 ジャンクボンド

を考案し売りまくった。
  
 さらにミルケンは、ジャンクボンドとして販売した資金を個人投資家たちの企業買収の資金として、実際の資産価値と株式価格の乖離に目をつけた。
 
 会社の買収には莫大な資金が必要であり、その調達コストである金利も大きくなるがジャンクポンドにより安く市場から調達した資金がミルケンらの手持ち資金力となって1980年代の M&Aブームを拡大させた。 

 ミルケンはジャンクボンドの開拓で得た名声を武器にウォール街への影響力を増大させ、全盛期の年収は会社からの給料、ボーナスだけで5億ドルを越えるようになった。

 一方、ドレクセルもゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレーなどの一流の投資銀行をおさえて、ウォール街ナンバーワンの投資銀行に躍り出たが、この原動力はミルケンとその一派(一族)だけであり、次第に会社を支配されるようになった。

 投資手法が強引になったためか、1989年、インサイダー取引や顧客の脱税幇助など95の罪で起訴された。
 ただ、当時の法律ではグレーゾーンの範疇にある行為が多く、起訴は次のニューヨーク市長の座を狙う野心的な検察官

   ルドルフ・ジュリアーニ

のパフォーマンスの意味もあったといわれている。

 ただ、ミルケンの逮捕と同時にジャンクボンド市場は崩壊し、当然ながら、ミルケンを解雇したドレクセルもミルケンを信頼して投資しいた顧客の多くを失い倒産した。

 ミルケンは禁固10年の判決を受け、証券業界からも追放が決議され完全に破滅したかに思われた。
 ただ、脱税違反で国外に脱出しグレンコアを設立したマークリッチのその後の措置など、米国で多く見られるところの司法取引によって10年の刑期を2年にまで短縮し、出所後はかつての顧客を奪還、公然とM&Aのアドバイザーなどを務めるようになった。 
   
posted by まねきねこ at 09:22| Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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