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2014年01月01日

アーノルド・ロススタイン Arnold Rothstein 「ブラックソックス事件」で注目されたギャング

 
アーノルド・ロススタイン
      Arnold Rothstein
       (1882年1月17日 - 1928年11月4日)
 
 
 NY市の名士であった東欧系ユダヤ人実業家
   エイブラハム・ロススタイン
          Abraham Rothstein
の息子として生まれた米国の実業家であり、ギャンブラー、ギャングで組織犯罪の元祖とも呼ばれている。
 
  
 1919年にはワールドシリーズで八百長を画策し、
   ブラックソックス事件
としられているスキャンダルを引き起こし注目を集めた。
  
 
 少年時代は数学が得意だった。
 銀行家の実業家のどら息子は早い時期から
   非合法な商売
に関心を持ち賭博事業等を始めた。
 
 1910年までにはNYのテンダーロイン地区に移り、ここで多大な収益を稼ぐカジノを設立した。
 また、禁酒法時代は多数のモグリ酒場を買収し莫大な利益を上げている。
  
 なお、メリーランドの競馬場に出資して、多くの八百長レースを仕組んで大儲けしたといわれる。
 
 
 全国に情報提供者のネットワークを置いて熱心に情報を収集し、どれほどいかがわしい情報源から出た話であろうと、よい情報には報酬を惜しまなかった。
 
 
 1919年、ロススタインは手下を通じて
   シカゴ・ホワイトソックス
のメンバーを買収した。
  
 ワールドシリーズで故意に負けるよう依頼し、ホワイトソックスが負けるほうに賭けて大儲けするつもりだった。
  
 
 八百長試合が世間にばれてしまい大きな問題となって大陪審調査団から召喚された。
 
 審問で、ロススタインは八百長を仕組んだのはフェザー級チャンピオンだった
   エイブ・アッテル
の一派で、ワールドシリーズで大儲けしようと企んだんだと主張した。
 
 ロススタインはメディアの取材で、俺にも一口乗らないかと誘いがあったが、すぐに断ったんだよ。俺のダチはみんな知っていることさと語った。
  
 さらに、エイブの野郎が俺の名前を勝手に騙りやがったに違いねえと関係がないことを臭わせたうえで、俺はそんな話にゃ乗らなかった、だから
   奴らのイカサマ
を見抜いたんだ。
 その後はワールドシリーズには一セントも送ってねえよ
とロススタインは語った。
  
 
 大陪審による調査は継続したものの結局、この八百長事件と彼を結びつける証拠は何もなかったことからロススタインは不起訴となった。

 
 ロススタインはマフィアと連んだ大悪党であるが、エイブ・アッテルからの誘いを撥ねつけていたのも事実だった。
 
 しかし、誘いを受ける前に
   ジョーゼフ・"スポート"・サリヴァン
というギャンブラーから同じ内容の誘いを受けていたため、アッテルの誘いを断った後にロススタインはサリヴァンの話を考え直して結局は八百長に乗っていた。
 
 禁酒法の時代が到来すると、ロススタインは新しく密造酒と麻薬を売り始め、ラッキー・ルチアーノマイアー・ランスキー、レッグズ・ダイアモンド、ダッチ・シュルツといったギャング界の大物を手下に組み込んで配置し莫大な利益を吸い上げた。
 
 また、キャリアの少ない若手ギャングに資金援助をして武装化する手助けをして勢力を広げさせたりもした。
 
 ルチアーノも駆け出しの頃、ロススタインに面倒を見てもらっていた一人だといわれている。
 
 
 ニューヨークの縄張り争いから生じたギャング間の抗争を調停し、しばしば
   高額の調停料
を課したとも伝えられている。
  
 
 ロススタインのお気に入りの「事務所」はブロードウェイと49番街の角にある
   リンディズ・レストラン"
でここを拠点とし、用心棒を従えて街角に立ち、街頭で商売をおこなった。
 
 賭博を開き、ギャンブルの掛け金の取り分を前日のカモから取り立てたりした。
 支払いの悪いギャンブラーにはギャングを使って暴力的に制裁を加えたりした。
 

 1928年11月3日、ロススタインは
   ジョージ・ハンプ・マクマナス
の賭博師のひとりに負け
   32万ドル
の支払いの約束に遅れた。
 
 マンハッタンのマクマナスが利用していたパークセントラルホテルの39号室で撃たれ、裏階段で倒れているのが発見され、翌日に病院で死亡した。
 
 
 NY市警により容疑者として
   ジョージ・"ハンプ"・マクマナス
という賭博場のボスが逮捕された。
 
 しかし、取調べを受けたものの証拠不充分で釈放された。

 また、ロススタイン自身も誰に撃たれたか明かそうとしなかった。
 
 遺体はクイーンズの正統派ユダヤ教徒の墓地に埋葬された。

  
 ロススタインが築き上げた犯罪帝国は、弟分の
   マイヤー・ランスキー
ベンジャミン・シーゲルが引き継いだ。
 
  
  
  
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   禁酒法の時代、新しく密造酒と麻薬を売り始め

   ラッキー・ルチアーノ
   マイアー・ランスキー
   レッグズ・ダイアモンド
   ダッチ・シュルツ


といったギャング界の大物を支配下に置き、キャリアの少ない若手ギャングには資金援助をした。
  
 なお、ルチアーノもファイブ・ポインツ・ギャングとして駆け出しの頃、面倒を見てもらっていたといわれる。

 ロススタインは、Mr. Big, The Fixer, The Man Uptown, The Big Bankroll, The Brainといった渾名で呼ばれ、ニューヨークのギャングの抗争を調停し、しばしば高額の調停料を課した。
 
 1928年11月3日、ロススタインはギャンブルの掛け金の支払いを巡るいざこざからマンハッタンのパークセントラルホテルの39号室で撃たれた。

 ロススタインが築き上げた犯罪帝国は、マイヤー・ランスキーやベンジャミン・シーゲルに受け継がれた。          
 
 ロススタインは、スコット・フィッツジェラルドの小説

   グレート・ギャツビー


に登場するマイアー・ウルフスハイムや、デイモン・ラニヨンの小説

   ミス・サラ・ブラウンの牧歌

に登場するネイサン・デトロイトのモデルとなった。
 
posted by まねきねこ at 21:54| Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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