マーク・リッチ(Marc Rich)
1934年12月18日 - 2013年6月26日
本 名 マルク・ライヒ Marc David Reich
ベルギーのアントウェルペンにてユダヤ人の家庭に生まれの米国の相場師でスイスで商品取引最大手グレンコアを設立した。
1942年にナチを避けて一家で渡米しニューヨーク大学に学んだ。
商品取引で成功し、巨億の富を築き上げたが、パートナーの
ピンカス・グリーン(Pincus Green)
と共謀して脱税やイランとの不正な石油取引を行っていた。
このほかに武器や麻薬などもトレードしていたともいわれており
年商100億ドル
の帝国を築いた。
米国内で活動している時代には、リッチは稼いだ利益を税務署申告せずに隠した脱税など違法行為について米国の検察に訴追されたことやFBIの
「10大重要指名手配犯リスト」
に名前が載ったため、アメリカに帰ることは事実上不可能になった。
ただ、スイスとアメリカには犯罪者引渡条約がないのを知っていたことから米国の検察当局から起訴される直前の1983年にメッゲン市(ツーク州 スイス)へ国外逃亡して居を構え、1984年に欠席裁判で刑期300年の有罪判決を受けている。
また、石油・食料交換計画(Oil-for-Food Programme)のスキャンダルに絡む事業で
サダム・フセイン
と協力を始めたことも問題視されていた。
なお、リッチと偽装離婚した妻が米国民主党クリントン大統領の時代に巨額の献金を行った。
クリントンが退任するときにリッチに恩赦を与えたことから現在は自由の身となっている。
この大統領の決定にはイスラエル政府からの嘆願や、リッチが献金していた
名誉毀損防止同盟
からの圧力も存在したと伝えられている。
リッチの邸宅(通称"La villa rose")はルツェルン湖の湖畔にあり、その周辺では厳重にプライバシーが守られていた。
彼はスイスのほか、スペインにもスキーリゾートを所有していた。
また、絵画収集を趣味とし、モネ、ルノワール、ピカソの作品に囲まれて生活していたという。