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2025年04月06日

ゴスラー家(Gossler family)ハンブルク出身のハンザ同盟および一部貴族の銀行家一族

ゴスラー家(Gossler family Goßler ともGosler とも表記される)
 ベレンベルク=ゴスラー家系を含む、ハンブルク出身のハンザ同盟および一部貴族の銀行家一族である。
 この一族はハンブルク市共和国の織工および市民の末裔で、18 世紀後半に
   ヨハン・ヒンリヒ・ゴスラー
がベルギー出身のベレンベルク家の最後の一族でベレンベルク銀行の唯一の相続人である
   エリザベス・ベレンベルク
と結婚したことで、ハンブルクで非常に名声を高めた。
 結婚により、この一族は銀行の主な所有者となり、1791 年以来、法的には
   ヨハン・ベレンベルク、ゴスラー & Co.
と名付けられている。
 18 世紀後半以来、この一族は、近縁の
とともに、ハンブルクの 2 大ハンザ同盟一族の 1 つとして広く認められている。
 ゴスラー家の一族は1880年にハンブルク元老院から
   ベレンベルク=ゴスラー
の姓を授かった。
 後に貴族の概念を認めなかったハンブルク共和国では議論を呼んだものの、プロイセン王国から男爵の位を授けられている。
 19世紀から20世紀初頭にかけて、ハンブルクで数人の一族が上院議員を務めた。
 ヘルマン・ゴスラーは1874年に国家元首となった。
 歴史家のリチャード・J・エバンズは、この一族をハンブルクの「大実業家一族」の1つと評している。
 なお、南極のゴスラー諸島は、この一族にちなんで名付けられた。
 一族の最も古い先祖として知られる
   クラウス・ゴスラー(1630年〜1713年)
は、ビロード織り職人で、1656年からハンブルクの市民であり、聖カタリナ教区に住んでいた。
 クラウスは、ビロード織り職人とハンブルク市民となった
   ダニエル、デイヴィッド
   アルバート
   ヤコブ・ゴスラー(1666年〜1732年頃)
の父親である。
 ヤコブ・ゴスラーには9人の子供がいたが、
 その中には会計士でありハンブルク市民でもあった
   ヨハン・アイベルト・ゴスラー(1700年 - 1776年)
がおり、1739年にヘレンシェンク(ハンブルク市議会の杯持ち、儀式の司会者)の儀礼職を購入した。
 ヨハン・アイベルト・ゴスラーは、銀行家の
   ヨハン・ヒンリヒ・ゴスラー (1738–1790)
や、ナポレオン戦争中にフランス軍大佐を務め、ロシア侵攻中に亡くなった
   ヨハン・ヤコブ・ゴスラー (1758–1812)
などの父親にあたる。
 銀行家のヨハン・ヒンリヒ・ゴスラー (1738–1790) は、ベレンベルク銀行で見習いとして働き始め、会社の唯一の相続人である
   エリザベス・ベレンベルク (1749–1822)
と結婚した。
 その後、1769 年に義父の
   ヨハン・ベレンベルク
から共同経営者に任命された。
 1772 年にベレンベルクが亡くなった後、銀行の唯一の所有者になった。
 1788年、ゴスラーは義理の息子である
を共同経営者として受け入れた。
 ザイラーはヨハン・ヒンリヒ・ゴスラーとエリザベス・ベレンベルクの長女
   アンナ・ヘンリエッテ・ゴスラー
と結婚し、1790年にベレンベルク銀行の頭取となった。
 ヨハン・ハインリヒ・ゴスラーの息子
   ヨハン・ハインリヒ・ゴスラー(2世)
は1798年に共同経営者となり、1821年からハンブルクの上院議員を務めた。
 彼は最終的に義理の兄弟ザイラーの後を継いでベレンベルク銀行の頭取となった。
 息子のヨハン・ハインリヒ・ゴスラー(3世)が会社頭取の座を継ぎ、ハワイ総領事も務めた。
 後者の兄弟ヘルマン・ゴスラーは弁護士兼上院議員で、1874年に初代市長兼上院議長、つまり都市共和国の国家元首を務めた。
 1880年、ベレンベルク銀行の長年の頭取でヨハン・ハインリヒ・ゴスラー(3世)の息子である
   ヨハン(通称ジョン)ベレンベルク・ゴスラー
は、ハンブルク上院から
   ベレンベルク・ゴスラー
の姓を授けられた。
 彼は1889年にプロイセン王国から貴族に叙せられ、1910年にプロイセン王から男爵の称号を授けられた。
 貴族制が厳格に施行されていたハンブルク市共和国では、貴族の叙任は物議を醸した。
 もともと、ハンブルクには貴族制は存在せず、(外国の)貴族は伝統的に政治的地位に就くことや財産を所有することさえ禁じられていた。
 リチャード・J・エヴァンスによれば、「19世紀のハンブルクの富裕層は、大部分が厳格な共和主義者で、称号を嫌悪し、プロイセン貴族に敬意を払うことを拒み、都市生活と商業の伝統に断固として忠誠を誓っていた。」という。
 ヨハン・フォン・ベレンベルク=ゴスラー男爵の息子の一人
   ジョン・フォン・ベレンベルク=ゴスラー
は、1908年から1920年までハンブルクの上院議員を務め、1920年から1921年までローマ駐在ドイツ大使を務めた。
 ジョンの弟、コルネリウス・フォン・ベレンベルク=ゴスラー男爵は、1913年に父の後を継いでベレンベルク銀行の頭取となった。
 1932年には息子のハインリヒ・フォン・ベレンベルク=ゴスラー男爵が後を継いだ。
 ハインリヒ・フォン・ベレンベルク=ゴスラーはモナコ総領事も務めた。
 南極のゴスラー諸島とハンブルクのゴスラー公園は、この一族にちなんで名付けられている。
 ヴィルヘルム・ゴスラー(1811年 - 1895年)は画家​​で彫刻家のメアリー・ウォーバーグの祖父であり、
   ウォーバーグ銀行家一族
の一員であった美術史家で文化理論家の
   アビー・ウォーバーグ
と結婚していた。

   
posted by まねきねこ at 19:47| 愛知 | Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

カナダがトランプ氏措置に対抗し、米国製自動車に25%の報復関税

 カナダのカーニー首相は3日、トランプ政権による外国製自動車への輸入関税に対抗して、米国製自動車に25%の報復関税を課す方針を発表した。
 新たな関税は、米国・メキシコ・カナダ協定(USMCA)に準拠していない車両、および同協定に基づいて米国から出荷される自動車やトラックに含まれる「カナダ産以外のコンテンツ」が対象となる。
 米国の自動車関税をほぼ踏襲した格好だが、自動車部品には適用されない。
 カナダはトランプ大統領が2日に発表した相互関税からは除外されたが、3日未明から施行された米自動車関税の適用は免れなかった。
 カーニー首相は今回の措置を米国の自動車関税と似た構造にすることで、慎重にバランスを図る考えだ。
 貿易戦争への対応は行いつつも、トランプ政権の措置を超えるような過度な報復には踏み込まない姿勢を示している。
 カーニー首相は、トランプ氏は国際貿易の体制を根底から覆したと指摘した。
 その上で「トランプ政権の政策は米国の家計に打撃を与えるものだが、その痛みが無視できないほど大きくなるまで、米国が方向転換することはないだろう」と述べた。
  
    
posted by まねきねこ at 01:00| 愛知 ☀| Comment(0) | イベント 出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする