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2024年11月29日

フォートノックス金鉱(Fort Knox Gold Mine) アラスカ州フェアバンクス鉱山地区の露天掘りの金鉱山

フォートノックス金鉱(Fort Knox Gold Mine)
 アラスカ州フェアバンクス鉱山地区のフォックスから東に14 kmにある露天掘りの金鉱山である。
 トロントに本拠を置く
が所有・運営している。
 1913年に最初に鉱区が設けられ、その後、この場所でごく小規模な採掘が行われていた。
 その後、1980年に再鉱区化されるまで放置されていた。
 1987年の最初の探査で発見された後、1992年に
   エイマックスゴールド
がこのプロジェクトを購入し、鉱山の生産を開始した。
 エイマックスゴールドは1998年に
と合併した。 

 生産 237,925金換算オンス(2020年度)
 
 ビスマスを含む金と石英の鉱脈が見つかった1913年にフォートノックス鉱山がある土地が確保された。
 小規模な採掘は、小さな竪坑と3頭のスタンプミルで行われた。
 この地域では1903年には砂金採掘が行われており、1980年には地元の探鉱者
   ジョー・テイラー
   ジョージ・ジョンソン
が砂金鉱床で採掘を行った。
 1986年、この土地はさまざまな鉱山会社に貸し出された。
 1992年、エイマックス・ゴールドがこの土地を購入した。
 1995年に建設が始まり、1996年末に最初の金が採掘された。

 1998年、エイマックス・ゴールドはキンロス・ゴールドと合併した。
 フォートノックスの金は、周囲のフェアバンクス片岩に貫入した白亜紀後期の 花崗岩の プルトンに含まれている。
 プルトンは明るい灰色の細粒の花崗閃緑岩、中粒の黒雲母花崗岩、粗粒の黒雲母花崗斑岩で、塊状の岩盤露出を形成してる。
 プルトン内のペグマタイトと石英の鉱脈と亀裂には、金、ビスマス、テルル鉱物が含まれている。
 硫化物含有量は非常に低い(<0.1%)。

 フォートノックス金鉱床の生産前の証明済みおよび推定埋蔵量は、1996年には金0.83 g/tで1億5,830万トン、金0.39 g/tのカットオフで420万オンスであった。
 750万オンス以上の生産後、2019年12月31日現在の証明済みおよび推定埋蔵量は、金0.3 g/tで2億5,580万トン、280万オンスであった。

 フェアバンクス市の北東15マイル(24 km)に位置するフォートノックス金鉱山は、単一の大きな露天掘りとして稼働している。
 2001年から2004年までは、小さなサテライト鉱床である
   トゥルーノース鉱山
が稼働し、鉱石はフォートノックスの製錬所で処理されていた。

 フォートノックスからの生産は、低品位鉱石(1グラム/トン)で最大1日45,000トン(50,000ショートトン)であった。
 2つの鉱物処理ストリーム、高品位鉱石用のカーボンインリーチ(CIL)と低品位鉱石用のヒープリーチングによって行われた。
 2016年に700万オンスを超えたフォートノックスは、アラスカ州史上最大の金の生産者である。
 2018年に発表された1億ドルの拡張投資により、鉱山の寿命は2027年まで延長される予定であった。
 この投資で、鉱山寿命中の生産量は金換算で約150万オンス増加するという。
 2024年にフォートノックスはアラスカ州テトリン近郊の
   マンチョー鉱山
の鉱石の処理を開始し、2024年7月8日にマンチョー鉱石から最初の金塊を注ぎ込んだ。
  
 2003年、この鉱山は1日あたり最大13万トン(14万ショートトン)を2.3:1の剥土比で採掘する予定で、年間12ヶ月間週7日稼働していた。
 フォートノックスの廃岩は硫化物含有量が非常に低いため、酸性鉱山排水を生成しない。
 鉱山の鉱石はフォートノックス製錬所で処理され、従来の破砕、粉砕、CIL浸出、炭素剥土、電解回収プロセスが行われた。
 1日あたり36,000トン(40,000ショートトン)の処理能力がある。
 製錬所は、旋回式破砕機、 34フィート×15フィートの半自生式粉砕機、2つの20フィート×30フィートのボールミル、およびネルソン濃縮器を備えた重力分離回路で構成されている。
 ネルソン濃縮装置で回収されなかった金はCIL回路を通って送られた。
 2009 年に、谷埋めヒープ浸出作業を開始した。
 なお、低品位の鉱石は鉱山からトラックで施設に運ばれた。



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三菱ケミG、 半導体向け合成石英の生産能力を3割増強

 三菱ケミカルグループは半導体の製造工程で使う
   合成石英粉
の生産能力を3割引き上げることが明らかになった。
 総投資額は111億円で、そのうち3分の1にあたる最大37億円は経済産業省による半導体の国内生産強化のための
   助成金
でまかなう。
 半導体製造で必要となる素材の国内での生産・供給体制を強化する。
 増強するのは合成石英粉で、北九州市の拠点の生産能力を35%引き上げる。
 増強分は2028年9月から供給する。合成石英粉は半導体製造工程のなかでもシリコンウエハーのもととなる
   インゴット
の製造工程で使われ、インゴットへの不純物の混入を防ぐ役割がある。

 経産省は29日に半導体や電子部品の国内生産強化に向け
   最大で1017億円の補助
を実施すると発表し、そのうちの1事業に選ばれた。
 同社は他にも回路を形成する際に使われるフォトレジスト(感光材)向け樹脂や、半導体製造装置部品の洗浄サービスでも工場の新設を決めている。
 半導体関連材料を注力領域とし、今後の需要増を見込み体制を強化している。

  
ひところ
 企業への助成金や補助金は全て紐付きにすべきであり、資金を出した企業の株式やオプションを国が受け取り、利益を稼ぎ出した段階で市場で売り抜け、資金を回遊することが公平だろう。
 呉れてやるかの如き助成金や補助金は全て廃止するか紐付けにして管理すべきだろう。
 また、大学や研究機関への補助金や助成金も特許等の権利を半分国が受け取るべきである。

      
posted by まねきねこ at 17:36| 愛知 ☀| Comment(0) | イベント 出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

MUFGがウェルスナビの完全子会社化を検討中

 三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)は29日、ウェルスナビを完全子会社化するとの報道を受け、検討を行っているとのコメントを発表した。
 同日開催の経営会議に付議する予定。
   
    
posted by まねきねこ at 17:09| 愛知 ☀| Comment(0) | イベント 出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ロシアのプーチンがキーウを新型弾道ミサイルで攻撃すると警告

 ロシアのプーチン大統領は28日、ウクライナの首都キーウにある「意思決定の中枢」を新型の弾道ミサイルで攻撃する可能性があると警告した。
 ウクライナが西側諸国から提供されたミサイルでロシアを攻撃したことへの報復だという。 
  
 プーチン氏は、カザフスタンの首都アスタナで開かれた「集団安全保障条約機構」(CSTO)の会合で「国防省と参謀本部がウクライナ領内の攻撃目標を選定している」と述べ、「標的は軍事施設や防衛産業企業、あるいはキーウの意思決定の中枢の可能性がある」と続けた。
  
 ほぼ3年に及ぶロシアのウクライナ侵攻は、戦況がエスカレートし続けている。ウクライナは最近、米国製地対地ミサイル「ATACMS」、英国製長距離ミサイル「ストームシャドー」でロシアを攻撃しており、ロシアはこれに対する報復を行う意向を示している。
  
 プーチン氏は、ロシアの弾道ミサイル「オレシュニク」を大量に使用した場合は核兵器の威力に匹敵する可能性があると述べ、「われわれは、今も続く欧米製の長距離ミサイルによるロシア領内への攻撃に対応する。それには戦闘状況下でのオレシュニクの試験を継続する可能性も含まれる」と発言した。
   
   
ひとこと
 報復としてモスクワのクレムリンを狙うよう誘っているのだろう。

     
posted by まねきねこ at 14:42| 愛知 ☀| Comment(0) | イベント 出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ESGファンドの欠陥を指摘する好機

 ブルームバーグはロシアのプーチン大統領がウクライナに侵攻した際、ESG(環境・社会・企業統治)ファンドがロシア資産を保有していると報じた。
 
 保有資産は国債や国営石油・ガス会社に及んだ。
 ESGファンドはまた、ガバナンスリスクの高まりに対応できず、昨年前半に米
   シリコンバレー銀行(SVB)
が破綻した際も判断を誤ったことは周知のことだ。

 
 シンガポールのSGMCキャピタルのポートフォリオマネジャー
   モヒト・ミルプリ氏
は、数百本のESG(環境社会・企業統治)ファンドが今もアダニ・グリーンに投資している事実は「驚くべきこと」だと指摘した。
 同氏は、レバレッジに過度に依存している懸念から22年末に
   アダニ・グリーン社債
を売却したと続けた。

 ミルプリ氏はアダニ・グリーンについて「現時点で株式を保有する理由はない」とし、ESG(環境・社会・企業統治)ファンドによる同社株の保有について、
   ガバナンスリスク
を適切にスクリーニングする能力を「疑わせる」と述べた。

 ESGと長年距離を置いてきた投資家らは今回の事例を、
   欠陥を指摘する好機
と捉えているが、判断自体がそもそも後手に回っているとの非難は避けて通れないところも多い。
  
   
posted by まねきねこ at 14:20| 愛知 ☀| Comment(0) | イベント 出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ハーフドットコム(Half.com) 書籍、教科書、音楽、映画、ビデオゲーム、ビデオゲーム機を固定価格で販売するオンライン マーケットプレイス

ハーフドットコム(Half.com)
 Half.com は、書籍、教科書、音楽、映画、ビデオゲーム、ビデオゲーム機を固定価格で販売するオンライン マーケットプレイスであった。
 2000 年にeBayに買収され、2017 年に閉鎖された。
 ドメインは eBay の Web サイトにリダイレクトされた。

 Half は、売り手が商品を売る価格を選択できるプラットフォームを提供した。
 売り手は、特定の商品の平均および最新の販売価格を確認して、希望する販売価格を決定することができまた。
 潜在的な買い手は、商品の在庫を確認し、希望する売り手を選択することができた。
 これは、買い手が互いに入札する eBay とは異なるモデルであった。
 事前注文機能により、買い手は購入したい特定の商品の価格と品質評価を設定できた。
 売り手は、商品を売りに出すときに
   事前注文のリスト
を確認し、買い手の提示した価格に同意すれば、その商品を買い手に販売することができた。
 同社は、完了した販売ごとに手数料を徴収した。
 販売者は、販売後3営業日以内に商品を発送し、実際の送料を支払う責任があった。
 
 Half.comは1999年に米国の起業家
   ジョシュ・コペルマン
   サニー・バリジェパリ
によって設立された。
 同年12月、同社は宣伝活動の一環として、オレゴン州ハーフウェイ市に10万ドルを支払い、20台の新しいコンピュータを寄付し、 1年間社名を「Half.com, Oregon 」に変更した。

 eBayは2000年にHalf.comを約3億5000万ドルで買収し、同社のユーザー管理システム、買い手/売り手のフィードバック、アカウント情報をeBayに統合した。
 親会社と同様に、Half.comは小売サイトではなく、物理的な在庫も持たなかった。
 むしろ、このサイトは個々の売り手が商品をリストする場所と、潜在的な買い手がそれらを
   閲覧する中心的な場所
を提供し、標準化された取引と金銭交換プロセスの両方を提供していた。
 親会社とは異なり、Half.comはオークションサイトではなく、売り手は自分の選んだ入札価格で商品を提供した。
 Amazon.comと同様に、Half.comは中古教科書やCD市場で大きな役割を果たしていた。

 eBayはHalf.comをeBayに統合し、最終的にはHalf.comを閉鎖する予定だった。
 CDやDVDなどのメディアアイテムを迅速かつ簡単にリストする機能の多くはeBayに統合された。
 なお、eBayは主に教科書市場向けにHalf.comを別々に運営し続けた。
 Half.comは、eBayがサービスを買収してから10年半後の2013年1月に
   PayPal
の受け入れを開始した。
 2016年11月17日、Half.comの手数料率が大幅に引き上げられ、低価格商品の手数料が15%から25%に引き上
げることを発表した。
 この手数料率は2016年12月16日に発効し、最初の通知は1か月も経たないうちに、
   ホリデーショッピングシーズン
の真っ最中に販売者に送られた。
この動きは、eBayがHalf.comをすぐに閉鎖させようとする試みと見られていた。

 2017年6月16日、eBayはHalf.comを2017年8月31日に閉鎖すると発表した。
 同サイトは2017年9月1日に閉鎖されたが、返品や返金の処理は2017年10月31日まで継続した。

    
posted by まねきねこ at 12:00| 愛知 ☀| Comment(0) | よもやまばなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ESGファンドまたも期待裏切り、世界で約770本がアダニ関連株を保有

 ESG(環境・社会・企業統治)ファンド運用者は、インド新興財閥
   アダニ・グループ
を巡る市場の混乱で、再び打撃を受けることになった。
  
 アダニ・グループの創業者
   ゴータム・アダニ
が米検察当局に贈賄の罪で起訴されたことを受け、グループ傘下の再生可能エネルギー会社
   アダニ・グリーン・エナジー
の株価は約25%下落した。
 同社株を保有しているESGファンドは世界で約770本に上る。

 ESGに基づくスクリーニングを通過した同社は、ニュースを聞いた投資家から投げ売りされる結果となった。
  
 アダニ・グループは今回の起訴ついて、根拠がないものだとコメントしているが投資家がニュースに注目する中、同グループの時価総額は計約270億ドル減少した。
 同グループが市場に影響する情報の開示義務に違反したかインドの規制当局が調査中とされている。
   
   
ひところ
 不都合な真実を避けて通る運用者が多いということだろう。

   
posted by まねきねこ at 09:15| 愛知 ☁| Comment(0) | イベント 出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ウルフズヘッド協会(List of Wolf's Head members)イェール大学の上級秘密結社

ウルフズヘッド協会(List of Wolf's Head members)
 コネチカット州ニューヘイブンにあるイェール大学の上級秘密結社である。
 この結社は、
とともに、イェール大学の「ビッグ3」結社の1つである。
 現役の学部生会員は、通常、4年生になる16人のイェール大学の学生によって毎年選出される。
 名誉会員も選出される。

 現在の代表団は同窓会の責任を負いながら1年間を共に過ごしている。
 過去の代表団メンバーの中には、スポーツ、ビジネス、美術・文学、高等教育、ジャーナリズム、政治の分野で著名になった人もいる。

 1884年イェール大学の4年生15人が、公的に上位の団体への推薦候補と目されていた1883年イェール大学の卒業生の協力を得て、第三団体の設立に尽力した。
 この団体は5年後に
   ウルフズヘッド
に改名された。
 この取り組みには300人以上のイェール大学の卒業生と数人のイェール大学法科大学院の教員が協力した。
 学部や大学の運営におけるスカル・アンド・ボーンズ協会の支配に対抗する目的で行われた。
 この設立により、イェール大学当局や学生団体がイェール大学の秘密結社やシニア団体を廃止しようとする最後の試みは阻止された。
 十分な数の上級生が見落とされていると感じた場合に結社を創設し維持するという伝統が続いた。
 ボーンズ結社は、ファイ・ベータ・カッパ賞の選考をめぐる論争の後に1832年に設立された。

 イェール大学で2番目の結社である
は、ボーンズ結社の選挙をめぐる論争の後に1841年に設立された。
 第三協会の設立の動機の一部は、一部の若者たちが自分たちは内部者としての地位に値するという感情にあった。
 「選ばれた者の範疇から自分たちが除外されたことは、ひどい不当な扱いであると固く信じていた、限られた数の人たちがいた」と、一部の創設者は同意した。
 
 1780年にイェール大学で
   ファイ・ベータ・カッパ
のコネチカット・アルファ支部が設立される以前(この支部は1776年の同協会設立後に設立された2番目の支部であり、現在でも会員間で秘密の握手が行われている)、イェール大学の学生は
   文学協会
を設立したり参加したりしていた。
 1830年代までには、キャンパスの文学協会である
   リノニア
   ブラザーズ・イン・ユニティ
   カリオピアン
は地位を失っていた。
 カリオピアンは1853年に解散し、他の協会も南北戦争後に解散した。
 カリオピアンは1819年から1853年、リノニアは1768年から1878年、ブラザーズ・イン・ユニティは1735年から1868年まで存在した。
1840年代半ばから1883年まで、いくつかの協会が設立された。
 いずれもイェール大学(広く学術部門として知られています)の教養学部の学生の興味を維持することができなかった。
 また、スター・アンド・ダート、ソード・アンド・クラウン、ティー・ケトル、スペード・アンド・グレイブ、ETLは解散した。

 ファイ・ベータ・カッパは1871年から1884年までイェール大学で活動していなかった。
 これは部分的に同協会の全国的な再編と重なっていたことが影響していた。
 1820年代、米国中に反フリーメーソン運動が広がったことから、PBKは活動における秘密保持の役割を検討することになった。
 1881年のPBKの全国的な再編に伴い、秘密保持はすべての支部で特徴として消え
   大学の友愛会、クラブ、協会との競争
が鎮静化した。
 そのため、すぐにイェール大学支部でも秘密保持は棚上げになった。
 ただ、PBKは現在、秘密保持を一切行わず、学術的 名誉協会として存在している。

 1850年代から、イェール大学の学部生の構成は多様化した。
 大学は地域的というよりは全国的な重要性を持つ機関になりつつあった。
 ニューイングランド以外の地域から来た学生や
   会衆派教会
   長老派教会
などの信者ではない学生が大量に大学に入学した。
 ただ、教授陣と管理職はボーンズの卒業生が占め、1865年から1916年までの教授陣5人中4人がボーンズの卒業生であった。
 ボーンズの卒業生は1869年から1921年まで大学の事務官を務めた。

 ボーンズの卒業生は1862年から1910年までの48年間のうち43年間大学の会計係を務めた。
 イェール大学理事会が最初に選出した6人の卒業生フェローのうち5人はボーンズの会員だった。
 そのため、不満は増大した。
 1873年、1873年10月13日に一度だけ発行された
   学生新聞「アイコノクラスト」
は、社会制度の廃止を主張した。
 その意見は「スカル・アンド・ボーンズはあらゆる階級から部下を引き抜き、イェール大学を支配した。イェール大学の業務は彼らによって遂行される。大学に支払われる金は彼らの手に渡り、彼らの意志に従わなければならない。イェール大学対スカル・アンド・ボーンズだ!!我々はすべての人間に、権利の問題として、どちらが生き残ることを許されるべきかを問うている」というものだった。

 イェール・デイリー・ニュースは1878年1月28日に初めて発行された。最初の大学日刊紙の誕生の回想録には、社会を「荒らす」ための初年度の戦略が記録されている。
 1884 年卒業生は全員一致で、卒業と同時に不信任決議を発令した。
 社会制度に対する新たな反乱を支持することに同意した。
 既存の社会制度は救いようがなく、廃止される可能性が高いという認識が広まっていた。

 1884年5月号のニューイングランダー誌には、スクロール・アンド・キーのメンバーによって執筆・出版された、この社会制度に対する熱心な擁護記事が掲載された。
 いくつかの定期刊行物でこの状況が定期的に報道された。

 エドウィン・アルバート・メリットが率いる最初の代表団は、1884年卒のクラスデー役員10名を含み、4年生の間に1883年卒の会員の助けを借りて秘密裏に会合を開き、「古い協会の悪しき特徴が排除されるなら、協会を設立することに熱心だった。 [卒業する生徒と4年生は]この点で全員一致だった。」1883年卒の支持者の中には、最も可能性の高いタップに関する特集記事を掲載する学部生向け出版物であるホロスコープの出版社からボーンズやキーズに確実に選ばれると宣伝されていた会員も含まれていた。協会支持派の4年生は、クラスデー投票で67対50で勝利した。
新しい団体は1883年6月5日頃に発足した。学部生の間では、この新興団体は嫉妬に関するイソップ寓話にちなんで「キツネとブドウ」と呼ばれていた。

 2つの古い協会はウルフズ・ヘッドと比べると劣っていた。
 ニューヘブン・レジスター紙は1886年に「ウルフズ・ヘッドは、その公的な活動に関してはボーンズ・アンド・キーズ]ほど世間からかけ離れた存在ではない。しかし、その仕組みには秘密結社に分類されるだけの秘密のベールがかけられており、それがイェール大学内での安定性と尊敬を、そうでなければ得られなかったかもしれないものにしている...」と報じた。
 この協会はシェフィールド科学学校と提携したファイナルズ・クラブと同様に運営されていた。
 ただ、すぐに古い協会のほぼすべての側面を取り入れるようになった。
 
 第三協会は、ジュニア協会(2年生協会は1875年に廃止され、1年生協会は1880年に廃止された)、キャンパス組織、運動チーム、クラブ、友愛会によって築かれた社会ピラミッドの頂点に位置していた。 
 1888年、この協会は名称をウルフズヘッド協会に変更した。
 これは、協会のピンである逆さまのアンク(エジプトの象形文字で「生命の鍵」として知られるエジプト十字)の上に様式化された狼の頭が描かれたものが学部生の間で好評だっ たことと一致する。最初期の学部生メンバーは、同級生にピンを触らせたが、これは古い協会が掲げていたピンに対する明確な反論であった。死や博学ではなく永遠の命が象徴されている。ピンのデザイン要素としてローマの束縛が考えられていた。 
 
 多くの先駆者やその後のメンバーは、スカル・アンド・ボーンズに関連する一見
   フリーメーソン風
の儀式や雰囲気を「ナンセンス」(オランダ語で「軟便」の意味)と揶揄した。
 この感情はイェール大学のコミュニティ、特に学部生の間で広まっていた。ペンザンスの海賊のいたずらで、ウルフズ・ヘッドのメンバーは、地元の劇場でドクロと骨のマークの下に322という数字(スカル・アンド・ボーンズの紋章の一部)を表示するように、この俳優の海賊王を説得した。
 別の例として、イェール大学の学長A・ホイットニー・グリズウォルドは、この儀式を「骨ばったでたらめ」で「ディンク・ストーバーのたわごと」が学部生の生活を彩っているとして非難した。

 ウルフズ・ヘッドは、他の教会では一般的だった木曜と日曜の集会など、多くの伝統的な慣習を維持していた。
 エール大学の長年の上級研究員および後任理事(1964年 - 1990年)であり、米国聖公会の長年の司教であるポール・ムーア・ジュニアは、第二次世界大戦で初めて戦闘に遭遇する前夜のことを「私は船上で、ウルフズ・ヘッドで何が起こったのかをハーバード大学の友人から尋問されて夜を過ごした。彼は、私が死の危険にさらされる前夜に、そのような無関係な秘密を隠しているとは信じられなかった。」 と回想している。

 オールドホールはマッキム、ミード、ホワイトによって設計され、1884年に完成した。
 最初の墓、つまりオールドホールは、創立から数か月以内に建てられた。
 古い学部の協会は、もともと数十年にわたってキャンパス近くの借りた宿舎で会合を開いていた。
 スカル・アンド・ボーンズは、創立から20年以上経った1856年に墓を公開、スクロール・アンド・キーも同様に、協会創立から20年以上経った1869年に墓を公開した。
 旧居はプロスペクト・ストリート77番地、グローブ・ストリート墓地の向かい側に位置し、フェルプス・トラスト協会のために発注され、建築会社マッキム・ミード・アンド・ホワイトが設計した
   リチャードソン・ロマネスク様式の建物
で1884年に完成した。
 1924年に大学が購入し、カイ・サイ・フラタニティ(1924年〜1929年)、ブック・アンド・ボンド(解散した団体)(1934年〜1935年)、ヴァーノン・ホール(現在はミス・アンド・ソード)(1944年〜1954年)に貸し出された。
 現在はイェール大学社会政策研究所が入居している。

 狭い窓のある建物であるこの住居は、1903年にニューヨークタイムズ紙によって「最もモダンで最も美しい」同目的の建物として取り上げられました。この建物は、創立メンバーが資金を確保した直後の1884年に建てらた。

 協会は社交的な「予備校タイプ」の学生を集めることで有名である。
 過去の会員は、イェール大学の男女共学化、イェール大学の寄宿制とハーバード大学の寮制の設立、エリザベス朝クラブの設立、イェール政治連合の設立に深く関わっていた。
 これはイェール大学最後の男子だけのサークルだったが1992年春から女性が参加している。
 セントジェームズ宮殿特使の
   エドワード・ジョン・フェルプス
は、1885年にウルフズヘッド同窓会の名称を冠するという申し出を受け入れた。
 フェルプス協会は、2016年1月現在、約700万ドルの信託財産を保有しており、これはイェール大学の協会やクラブの中で2番目に大きい金額という。
 イェール大学のサークルとハーバード大学の期末クラブの入会基準は大きく異なっている。
 イェール大学のサークルでは、歴史的に学部生としての生活への貢献が入会基準の一つとなってきた。
 期末クラブでは入会希望者のその資質を軽視している。

◯著名なメンバー
 ・アーサー・ウィリアムズ・ライト(1859年)
   イェール大学の物理学者
 ・クラレンス・ウィンスロップ・ボーエン(1883年)
   歴史エッセイの著者
 ・チャールズ・W・ハークネス(1883年)
   スタンダード・オイル、サザン・パシフィック鉄道
   シカゴ・ミルウォーキー・アンド・セントポール鉄道
   ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道の取締役
 ・パーカー・コーニング(1895年)
   アメリカ合衆国下院議員
 ・エドワード・ハークネス(1896年)
   慈善家、イェール大学の主要な寄付者
 ・チャールズ・アイヴズ(1898年)
   モダニズム作曲家
 ・アンソン・グッドイヤー(1899年)
   製造業者、実業家、近代美術館初代館長
 ・アレクサンダー・スミス・コクラン(1896)
   製造業者、慈善家
 ・ポール・ムーア・シニア(1908年)
   リパブリック・アビエーションの創設者
 ・クリストファー・ライドン、メディアパーソナリティ、コメンテーター
 ・ダグラス・ムーア(1915年)
   作曲家
 ・アシュベル・グリーン・ガリバー(1919年)
   イェール大学法学部長
 ・ロバート・メイナード・ハッチンス(1921年)
   シカゴ大学学長
 ・フィリップ・W・ピルズベリー(1924年)
   ピルズベリー社の会長
 ・スティーブン・ヴィンセント・ベネット(1919年)
   ピューリッツァー賞受賞詩人、短編小説家、小説家
 ・ダック・イ・ポンド(1925年)
   大学フットボールコーチ 
 ・ジョン・チャールズワース(1929年)
   アメリカンフットボール選手 
 ・スラストン・バラード・モートン(1929年)
   アメリカ合衆国上院議員
 ・A.ホイットニー・グリズウォルド(1929年)
   イェール大学第16代学長
 ・エラスタス・コーニング2世(1932年)
   ニューヨーク州アルバニー市長、ニューヨーク州上院議員
   ニューヨーク州議会議員
 ・ダグラス・マッカーサー2世(1932年)
   駐日米国大使、駐日ベルギー、駐オーストリア
   駐イラン大使、国務次官(立法担当)
 ・ロジャー・ミリケン(1937年)
   ミリケン・アンド・カンパニー社長兼CEO 
 ・ウィリアム・L・ハークネス
   実業家、慈善家
 ・ルイス・レーマン、元ライト・エイド社長
   投資銀行家、レーマン研究所創設者
 ・ウィリアム・クレイ・フォード(1949年)
   ナショナルフットボールリーグのデトロイト・ライオンズのオーナー
 ・ロバート・B・フィスク(1952年)
   デイビス・ポーク・アンド・ウォードウェルの弁護士
   ニューヨーク南部地区連邦検事
 ・ウェイン・マクヴェイ
   第36代アメリカ合衆国司法長官
   オスマン帝国駐在アメリカ合衆国大使、イタリア駐在アメリカ合衆国大使 
 ・エドワード・ジョン・フェルプス
   セントジェームズ宮殿特使、弁護士、アメリカ法曹協会の創設者
 ・ウィリアム・リグレー3世(1954年)
   ウィリアム・リグレー・ジュニア・カンパニー社長
 ・リチャード・ギルダー(1954年)
   ギルダー・レーマンアメリカ歴史研究所の共同創設者
 ・トーマス・チャールトン(1956年)
   競技ボート選手、オリンピックメダリスト
 ・ドナルド・ビア(1957年)
   競技ボート選手、オリンピックメダリスト
 ・サム・チョウンシー(1957年)
   イェール大学管理者
 ・ラスティ・ウェイルズ(1958年)
   競技ボート選手、オリンピックメダリスト
 ・ジョナサン・フット(1958年)
   アメリカの保存運動と関わりのある建築家
 ・ジョージ・アレクシス・ウェイマス(1958年)
   画家、自然保護活動家
 ・ウィリアム・ウールジー・ジョンソン
   数学者、アメリカ海軍兵学校の教授 
 ・レイモンド・G・H・ザイツ(1963年)
   駐英国米国大使
 ・ウィリアム・マシューズ(1965年)
   詩人、ルース・リリー詩賞受賞者
 ・ジャック・モリソン(1967年)
   アイスホッケーオリンピック選手
 ・ラシッド・ハリディ(1970年)
   コロンビア大学現代アラブ研究名誉教授
 ・カート・シュモーク(1971年)
   ボルチモア大学学長、ボルチモア市長
 ・ポール・ゴールドバーガー(1972)
   建築評論家
 ・エドウィン・S・グロスベナー(1973年)
   アメリカン・ヘリテージの社長兼編集長
 ・ディック・ジャウロン(1973年)
   プロフットボール選手、ナショナルフットボールリーグのコーチ
 ・マーク・デイトン(1978年)
   ミネソタ州知事、米国上院議員、ミネソタ州監査役
 ・エドマンド・クラレンス・ステッドマン
   詩人、批評家、エッセイスト
 ・フェリックス・マトス・ロドリゲス(1984年)
   ニューヨーク市立大学学長
 ・クラーク・ブランチャード・ミリカン(1924年)
   カリフォルニア工科大学の航空学教授
 ・ベンノ・C・シュミット・ジュニア
   イェール大学第20代学長
 ・ダグラス・ウィック(1976年)
   アカデミー賞受賞映画プロデューサー
 ・トム・ステイヤー(1979年)
   元共同シニアマネージングパートナー
 ・ウィリアム・アール・ドッジ・ストークス
   フェルプス・ドッジ・アンド・カンパニーの実業家
 ・ポール・バトラー(1982年)
   ジョージタウン大学ローセンター法学教授 
 ・スコット・ベセント(1984年)
   投資家、ヘッジファンドマネージャー
 ・エドウィン・アルバート・メリット(1884年)
   アメリカ合衆国下院議
 ・ダグ・ライト(1985年)
   ピューリッツァー賞受賞劇作家、脚本家
 ・ロブ・ボンタ(1994年)
   カリフォルニア州司法長官
 ・リー・バードゥゴ(1997年)
   イスラエル系アメリカ人ファンタジー作家
 ・チャールズ・L・バートレット
   ピューリッツァー賞受賞ジャーナリスト
 ・マルコム・ボルドリッジ・ジュニア
   元アメリカ合衆国商務長官
 ・デイビッド・J・ブリューワー
   アメリカ合衆国最高裁判所判事
 ・ジョン・プロクター・クラーク
   ニューヨーク州最高裁判所判事
 ・サム・ワグスタッフ
   美術キュレーター、コレクター
 ・チポ・チャン(2000年)
   ジンバブエの女優
 ・クラリッサ・ワード(2002年)
   エミー賞受賞テレビニュース記者
 ・リラ・ノイガバウアー(2007年)
   演劇・映画監督
 ・デビッド・ジョサイア・ブリューワー
   アメリカ合衆国最高裁判所判事
 ・ウェイン・マクヴェイ
   第36代アメリカ合衆国司法長官
   オスマン帝国駐在アメリカ合衆国大使
   イタリア駐在アメリカ合衆国大使 
 ・ロジャース・モートン
   アメリカ合衆国内務長官、アメリカ合衆国商務長官、アメリカ合衆国下院議員
 ・エドワード・ジョン・フェルプス
   セントジェームズ宮殿特使、アメリカ法曹協会の創設者
 ・ジェフリー・ロビンソン
   国会議員兼主計総監 

   
posted by まねきねこ at 08:51| 愛知 | Comment(0) | 用語集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本企業への軸足を移動する欧米の投資ファンドが不動産含み益(25兆円)に食らいつき袋叩きする流れ

 海外のヘッジファンドやプライベートエクイティー(PE、未公開株)ファンドが、25兆円に上る不動産の含み益に照準を合わせ、日本企業に注目してきている。

 ぬるま湯に浸りきった日本の機関投資家がこれまで跋扈し、日本企業への株式投資で経営陣に社員等を送り込み享楽に耽り、溜め込んだいわゆる内部留保金の蓄積を虎視眈々と狙う欧米投資家が円安を利用し保有する株式を膨らましてきた。
 今年日本で発表されたアクティビストによる投資や買収の背景には、日本企業のバランスシートに計上されている不動産の隠れた価値や内部留保金がある。
 
 先週、米ヘッジファンドのエリオット・インベストメント・マネジメントが東京ガスの株式5.03%を取得したことが明らかになった。
 エリオットは東京ガスの保有不動産の価値を最大1兆5000億円程度と同社の時価総額(27日時点で1兆7000億円)に匹敵する規模と推定している。

 これまで福利厚生や将来の事業展開を目論むと名目で社用族が接待名目などで私物化し横領や背任行為ともいえる行為が多数見られた日本企業がオフィスやホテル、ゴルフ場といった不動産を長年保有し続けていることが含み益につながっている。
 毎年の減価償却により取得した
   不動産の簿価
が下がる一方、近年、特に大都市圏では不動産の取引価格が急騰しており、不動産を売却すれば、企業は簿価と市場価格の差額から大きな利益を得ることができる。

 エリオットは、東京ガスに対して不動産売却益の有効活用を求めている。東京ガスは、高級ホテル「パークハイアット東京」が入居する新宿パークタワーを所有する。このビルは、かつてのガス貯蔵施設跡地に建てられた。
  
 
ひとこと
 企業側の抵抗を排除するにはこれまで社用族が企業資産を私物化あるいは横領した行為を追求して排除する方法や時間外労働の不正行為などについての、企業の違法行為を追求し企業経営者らの排除などをすることもあり、脇が甘い日本企業の倫理観の乏しさに対して、国際資本の袋叩きの手段が注目される。
   
  
posted by まねきねこ at 01:00| 愛知 | Comment(0) | イベント 出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする