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2024年09月17日

サウスウェスタン・グループ(Southwestern Family of Companies) 米国の国際的なコングロマリット

           (Southwestern Family of Companies)
 従業員所有の国際的なコングロマリットで、1855年に
   サウスウェスタン・パブリッシング・ハウス
として設立された。
 2023年には19の個別企業で構成されていた。
 これらの企業は、出版、保険、投資サービス、不動産、旅行、ビジネスおよびリーダーシップコーチング、販売など、さまざまな業界に広がっている。

 子会社
 ・Global Educational Concepts
 ・High School in the USA
 ・Inspire Kindness
 ・Pat Summitt Leadership Group
 ・SBR Consulting
 
 ・Southwestern Advantage
 ・Southwestern Consulting
 ・Southwestern Distribution
 ・Southwestern Insurance Group
 ・Southwestern Legacy
 
 ・Insurance Group
 ・Southwestern Publishing House
 ・Southwestern
 ・Real Estate
 ・Southwestern Travel Group
 
 ・Southwestern Ventures
 ・ThinkingAhead
 
 1855年にテネシー州ナッシュビルでバプテスト派の牧師
   ジェームズ・ロビンソン・グレイブス
によって
設立された
   サウスウェスタン出版社
に遡る。
 当時、ナッシュビルは米国南西部にあったため、この社名が付けられた。
 サウスウェスタンは、当初、南部バプテスト派の新聞である
   テネシー・バプティスト
と、 1冊20セントと30セントで郵送販売された宗教小冊子を発行していた。
 南北戦争以前は、ほとんどの聖書が南部ではなく北部で印刷されていた。
 グレイブスは北部からステレオタイプの版を入手し、1861年8月に販売用の聖書の印刷を開始した。
 また、教育書を制作して販売していた。
 南北戦争において1864年のナッシュビルの戦いで北軍が勝利した後、グレイブスは北部に対して出版した記事で弱点を感じ、メンフィスに移転しました。
 会社は1867年に出版を再開した。

 グレイブスは会社の
   通信販売事業を中止
し、大学の学費を稼ぐ手段として、1868年から若者を独立した販売員として訓練し、訪問販売で聖書や教育書を販売した。
 グレイブスは1871年に引退した。

 1879年に会社はナッシュビルに移転し
   ジェイコブ・フロリダ
が新たな所有者となった。
 1899年には
   PBジョーンズ
が過半数の所有権を取得し、社長兼ゼネラルマネージャーに就任した。
 1920年代には、会社はアメリカで最大の個人間販売会社の一つに成長し、夏季販売プログラムで16年間のキャリアを持つ
   JBヘンダーソン
が1921年に単独所有者となった。

 1947年までに、サウスウェスタンは第二次世界大戦の影響で独立系販売店をほぼすべて失った。
 同社は再建され、米国が大恐慌から立ち直るにつれて驚異的な成長を遂げた。
 独立系販売店の数は 1,500 以上に増加した。

 1959年、夏季販売プログラムからスタートした24年のベテランの
   オールダム
はサウスウェスタンの筆頭株主となった。
 オーナーとしての役割は1968年まで、社長としての役割は1972年まで続いた。
 同じく1959年、
   スペンサー・ヘイズ
がTCUを卒業して同社に入社した。
 彼は同社が参考書、料理本、児童書の販売、募金活動、病院用床材やがん保険の販売に進出するのを助けた。

 J・フレッド・ランダースもこの時に49%のオーナーとなり、1987年に亡くなるまでサウスウェスタンでキャリアを続けた。
 サウスウェスタン・ファミリー・オブ・カンパニーズの本社は、会社の文化への多大な貢献にちなんでフレッドにちなんで名付けられている。

 1968年、タイムズ・ミラー社がサウスウェスタンの所有権を取得した。
 1975年、タイムズ・ミラーはサウスウェスタン傘下で
   ナッシュビル教育マーケティングサービス
という資金調達会社を設立した。
 その後にグレート・アメリカン・オポチュニティーズに改名した。

 ジェリー・ヘッフェルは1980年に同社の社長に就任した。
 1982年にタイムズ・ミラーからレバレッジド・バイアウトを受けて
   サウスウェスタン・ファミリー・オブ・カンパニーズ
が設立され、事業は拡大を続けた。
 この複合企業の事業にはコンサルティング、金融サービス、不動産、エグゼクティブサーチなどがある。
 なお、複合企業とは、「1つの企業が複数の小規模企業の支配株を所有し、個別に独立して事業を行っている企業」をいう。

 1982年、タイムズ・ミラーは、当時年間3000万ドルの売上だったサウスウェスタンを、同社の幹部グループに売却することに合意した。
 ヘイズが取締役会長に、ラルフ・モズレーが会長兼CEOに任命された。

 サウスウェスタンは、2012年に米国で最も急成長している民間企業を選出するInc. 5000リストで4,832位を獲得した。
 2022年7月、ダスティン・ヒリスが退任し
   ヘンリー・ベッドフォード
がCEOに任命された。
 ベッドフォードはサウスウェスタン・ファミリー・オブ・カンパニーズに49年間在籍し、取締役会長を務めた。
 以前はCEOを務めていた。

 サウスウェスタンは、米国国務省の
   BridgeUSAサマーワークトラベル
   インターンシッププログラムの
指定スポンサーとなっている。
 また、サウスウェスタンアドバンテージサマープログラムに参加する留学生の就労ビザと旅行ビザのスポンサーも務めている。
 本社はテネシー州ナッシュビルにあり、国際教育文化交流同盟の会員である。
 サウスウェスタンは元々サウスウェスタン・ビジネス・リソースという名前でしたあったが、2012年に社名を変更した。
 1982年に設立されたナッシュビルを拠点とするエグゼクティブサーチ会社である。
   
   
posted by まねきねこ at 13:08| 愛知 ☁| Comment(0) | よもやまばなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マーク・オヘア(Mark O'Hare) Preqinの共同創設者

マーク・オヘア(Mark O'Hare) 
   1958年生まれ
 オルタナティブ資産情報サービス会社
    Preqin
の共同創設者で最高経営責任者
 Preqinは、プライベート エクイティ、ヘッジ ファンド、不動産、インフラストラクチャ、プライベート デット、天然資源など、世界のオルタナティブ資産業界全体に関する広範な調査とデータを提供している。
 Preqinは、ロンドン、ニューヨーク、シンガポール、サンフランシスコ、香港、マニラに拠点を置く。
 独立系企業で300 名以上の就業者がおり、世界有数の機関投資家、資産運用マネージャー、アドバイザーの多くに、市場をリードするオンラインおよびハード コピーのデータ サービスを提供している。

 マークはケンブリッジ大学で数学と数理統計学を学び卒業した。
 ストークス賞を受賞した。
 大学 1 年生のときにボート競技で代表を務めた。
 その後、ロンドン ビジネス スクールで金融を学んだ。

 Preqinを設立する前、マークは
のマネージャーとしてビジネス・キャリアをスタートし、金融サービス、ヘルスケア、小売、工業製品、消費財など、さまざまな業界のヨーロッパ、米国、アフリカのクライアントにアドバイスを提供した。

 BCG を退社後、彼は独立系戦略コンサルティング会社
   Goodall Alexander O'Hare & Co
を設立した。
 1993 年に英国有数の株主情報サービスである
   Citywatch
を設立した。
 同社は 1998 年にロイターに買収され、現在は上場株式の所有権に関するグローバル サービスを提供している。
  
   

   
posted by まねきねこ at 07:29| 愛知 | Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

バリー・ディラー(Barry Diller ) 米国の実業家でパラマウント映画・20世紀フォックスの会長兼CEOを歴任 IAC/InterActiveCorpと、オンライン旅行会社のエクスペディア・グループで、それぞれ会長職にある。

バリー・ディラー(Barry Diller )
   1942年2月2日生まれ
 アメリカ合衆国の実業家でパラマウント映画・20世紀フォックスの会長兼CEOを歴任した。
 また、フォックス放送創設に携わるなど、メディア界の大物として知られる。
 テレビ映画の製作面での才能と、企業経営と統率に手腕を発揮した。

 現在は、メディア・インターネット企業のIAC/InterActiveCorpと、オンライン旅行会社のエクスペディア・グループで、それぞれ会長職を務めている。
 
 カリフォルニア州サンフランシスコ出身で父親はビバリーヒルズの不動産開発業者であった。
 ショービジネスに入りたくて、UCLAを中退し、近所のコネを使い大手の芸能エージェンシーである
   ウィリアム・モリス・エージェンシー
の面接を受けて入社した。
 下積みのメッセンジャーボーイからキャリアを積んだ。
 ディラーはここで多くを学んだと話している。

 ディラーは1966年、ABCに転職した。
 ABCの創業者のゴールデンソンは20代半ばのディラーを信頼し、
   映画の買い付け
   放映計画の策定
では業界の大物と直接交渉させた。
 この点にディラーは感謝しており、69年には映画部門の責任者として、テレビ映画のレギュラー番組「ABC Movie of the Week」を創設、テレビミニシリーズも立ち上げた。
 ディラーが辞めた後の77年シーズンにABC はプライムタイム視聴率で初めて首位を獲得した。
 しかし70年代後半から独立局、ケーブルテレビ局、衛星通信[3]が視聴者を侵食していき、三大ネットワークも経営環境は変化した。
 
 1974年、パラマウント映画の会長兼CEOに就任した。
 パラマウントは1966年に
   ガルフ&ウェスタン
に買収されていた。
 ディラーはガルフ&ウェスタンを経営する
   チャールズ・ブルードーン
とABC時代に知遇を得ていた。

 パラマウント時代の部下にマイケル・アイズナー、ジェフリー・カッツェンバーグがいた。
 1983年、ガルフ&ウェスタンのチャールズ・ブルードーンが急死、経営が
   マーティン・デイビス
に代わった。
 デイビスはディラーとアイズナーを追い出そうとしたため、嫌気が差した彼等にフォックス、ディズニーが手を伸ばした。

 70年代から80年代のパラマウントの経営が安定した一方で、映画産業をめぐる環境は変化した。
 ビデオセル及びレンタル市場は映画会社の収益構造を変化させた。

 また、独自の番組編成、多チャンネルが人気を集めた
   ケーブルテレビ
の契約世帯数の飛躍的増加が起きた。
 視聴者が映画やスポーツ、ニュースといった番組を選択する習慣を身につけたため、映画はコンテンツの一つになった。
 
 フォックスのマーヴィン・デイビス(前者と血縁関係はない)は、ディラーに破格の優遇を約束して自社へ誘った。
 1984年、20世紀フォックスの親会社
   Fox, Inc.
の会長兼CEOに転じた。
 しかし業績の悪化していたフォックスは借金が膨れ上がり、デイビスとディラーの仲も最悪になった。

 85年、ルパート・マードックのニューズ・コープがフォックスを買収した。
 ディラーは引き続きマードックの下で経営に当たった。
 80年代半ばには、恩師でもある
   ゴールデンソン
がABCをキャピタル・シティズに売却したように巨大な三大ネットワークにも陰りが出た。

 マードックは、独立系のテレビ局を買収、第4のテレビネットワークを発足させようとした。
 フォックス放送は若者向けの番組を作り人気を集めた。
 中でもカウンターカルチャーのアニメ「ザ・シンプソンズ」は人気を得た。

 1992年、Foxを去った。辞めた理由は「自分の会社ではないからだ」としている。
 辞職前にディラーは自分をニューズ・コーポレーションの会長にしてほしいと申し込んだ。
 この申し出をマードックは冷静に断った。
 
 ディラーが手を組んだのは、加入世帯数1000万という当時、全米最大のケーブルテレビ局TCIの
だった。
 アクセス・フリーを唱える政府の方針を無視した態度、最低な顧客満足度、杜撰な管理体制、古い設備はそのままに買収を繰り返したところから
   ケーブルテレビ界のダース・ベイダー
と揶揄された。
 この時代の通信から放送を含めたメディア界では海を超えた日本も含めて、誰もが認める中心人物だった。

 マローンは当時は20億ドル規模だったテレビショッピング市場をHSN(と2分していたQVCの経営権をディラーに譲り、ディラーは会長に就任した。

 1994年、念願のメジャー会社買収を狙い、自分を追い出したマーティン・デイビスのパラマウント映画を買収しようとした。
 競争相手になったのが『バイアコム』で、ディラーは敗れた。
 更にCBSの買収を企むが失敗に終わり、コムキャストとリバティ・メディアがQVC を完全子会社化したため職を失った。

 1995年、HSNを自らの会社(独立局を運営する「Silver King」)と合併させた。
 1997年にはUSAネットワークを買収した。
 同年にはオンラインチケット業者「チケットマスター」を買収、以後数多くのインターネット関連会社を傘下に収めた。

 2002年、USAネットワークの娯楽部門を
   ヴィヴェンディ・ユニバーサル
に売却し、会社名を「USA Interactive」(現IAC Inc.)に変更し、自らの事業をショッピング部門に特化する。

 2005年、当時IAC/InterActiveCorp傘下にあった、オンライン旅行会社の
   エクスペディア・グループ
を独立させるが、両社の会長職を兼任する体制とし、現在に至っている。

   
posted by まねきねこ at 07:00| 愛知 | Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ソフトランディング利下げは非常にまれだ

 JPモルガン・アセット・マネジメントのポートフォリオマネジャー
   プリヤ・ミスラ氏
は「これは極めて重要な行動になる」と述べ、「ソフトランディング利下げは非常にまれだ」と指摘した。

 ミスラ氏は0.5ポイント利下げの方が望ましいと考えているが、政策当局者がなおインフレを懸念しているため、0.25ポイント利下げの可能性の方がやや高いだろうと述べた。
 0.25ポイントとなった場合、市場の反応は当局者が小幅利下げをどのように説明していくかに大きく左右されるだろうと付け加えた。

 JPモルガンは米大手銀の中で唯一、0.5ポイント利下げを予想している。
 他行の利下げ幅予想は0.25ポイントに落ち着いているが、JPモルガンの米チーフエコノミストである
   マイケル・フェローリ氏
は13日、顧客向けのリポートで0.5ポイントの利下げが「正しい」措置だとの見解をあらためて示した。

 このため、米東部時間18日午後2時(日本時間19日午前3時)のFOMC決定発表後、投資家やアナリストは次の2つに注目することになる。
 四半期ごとの最新予測の一部として同時に発表される米金融当局者の金利予測分布図(ドット・プロット)と、午後2時30分からのパウエル連邦準備制度理事会(FRB)議長の記者会見となる。
 ドット・プロットは、2027年までの各年の年末時点の全政策当局者の予測を示すものになる。
 匿名ベースの話だが、今から24年末までの非常に短い期間について当局が予測する内容も含まれる。
 政策が転換期にある際、当局者がこのような明確な情報を提供することはほとんどない。
 しかし、四半期予測の公表時期と重なったためめ、当局者に選択の余地はない。
  
posted by まねきねこ at 02:00| 愛知 ☀| Comment(0) | イベント 出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする