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2024年09月30日

FRB議長講演と雇用統計に注目 米国金融当局の大幅利下げが11月に再びあり得るかどうか

 今週はパウエル米連邦準備制度理事会(FRB)議長が9月30日、
   全米企業エコノミスト協会(NABE)
の会議で講演する予定だ。
 このほか、9月の米雇用統計も発表される。
 米連邦準備制度の政策担当者らが11月に再び大幅利下げを決定する意欲があるかどうかより明確になると期待される。

 10月4日公表の雇用統計では、堅調だが減速傾向にある労働市場の状況が示される見通しだ。

 ブルームバーグが調査したエコノミストの予想中央値によると、9月の非農業部門雇用者数は14万6000人の増加が見込まれる。
 これは8月とほぼ同じペースであり、3カ月平均では2019年半ば以降で最も低い伸びに近い。

 失業率は4.2%、平均時給の前年同月比上昇率は3.8%といずれも8月から横ばいとなりそうだ。

 10月1日に発表される8月の求人件数は、21年初め以降の最低水準近くにとどまる見込み。
 労働需要の減速度合いを判断するため、エコノミストは
   離職率やレイオフの数字
にも注目するだろう。

  
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長期政権時の修正は急務 歪んだ質の悪い代議士や官僚等は早急な淘汰が国益には必要 報道番組に出演した石破氏が10月衆院解散・総選挙の可能性を否定しなかったのは当然のこと

 自民党の石破茂新総裁は29日朝、報道番組に立て続けに出演し、衆議院の早期解散の意向を示した。
 また、10月解散・投開票の可能性も否定しなかった。

 27日の党総裁選挙で新総裁に選出された石破氏は、29日のフジテレビの「日曜報道THE PRIME」で衆院の解散総選挙について
   国民に判断してもらう材料
を整えた上で、新政権の信を問うのは「早ければ早い方がいい」と述べた。
 続けて出演したNHKの「日曜討論」で、10月中の解散総選挙、投開票もあり得るかと問われ「いろんな可能性は否定しない」と応じた。

 フジテレビの番組で、石破氏は金融政策について、今の金融緩和の方向性は維持していかなければならないと言及した。
 当局が判断することなので政府があれこれ言うことではないと前置きした上で「まだデフレが脱却できたとは断言できない状況の中で、金利をうんぬんかんぬんと言ってはいけないと思う」と、早期の追加利上げに慎重ともとれる姿勢を示した。

 岸田政権が「資産運用立国」を掲げて進めてきた
   個人投資の促進策
については「貯蓄から投資への流れは決して止めてはならない」と力説した。
 新たな少額投資非課税制度(NISA)などをこれからも支援すると表明した。
 一方で、石破氏の新総裁選出を受けて株式市場の下落や円高に振れた市場の反応を受けても、これまでの経済関連の主張を変えることはしないと述べた。

 また、石破氏が財政出動に消極的とされてきたとの問いかけに対し、民間需要が少ないときは「機動的な財政出動」が必要との考えを示した。

 中国・深圳で襲われた日本人男児が死亡した事案については「政治問題化をしようとは全く思っていない」と言及した。
 一方で、6月にも中国国内で日本人母子が切りつけられる事案があったにもかかわらず、その事案も含めた動機など真相究明が伝わってこないことに強い不満を表明した。
 NHKの番組では、中国側に日本として「断じて看過しがたいとはこれからも申し上げていく」と述べた。

 29日付産経新聞朝刊は、石破氏が9日にも衆院を解散し、10月15日公示・27日投開票の日程を軸に衆院選を実施する方向で検討に入ったことを党関係者が明らかにしたと報じた。
  
  
ひとこと
 マスコミは歪んだ思考が多すぎ、国益を考えず海外勢力の工作になってしまった社員が跋扈しているような状況を問題視する必要がある。
 視聴率や宣伝料など特定の勢力の影響を受けることで地位を上げて暴走行為に加担するなどの問題行動も突然糾弾されて修正されるが、そもそも、こうした輩を排除するシステムづくりがマスコミには必要だろう。
 歪んでしまった代議士が跋扈している現状の修正は与野党ともに必要であり、現職の国会議員の半数以上を取り替えるような意欲ある県議・市議等からの出馬が必要だろう。


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中国共産党の間衣のなるき出会った不動産業界 バブル崩壊で手下でタカリを繰り返した地方政府公務員に給料も払えない惨状

 中国中央政府の顔色ばかりをうかがい地位の上昇を模索してきた仕事が楽な割に給料が良く、福祉水準も高いとされてきた地方公務員たちが最近、土地転がしもできなく副収入が低下し大打撃を受けている。
 無い袖が振れないため、さまざまな手当や補助金が削減、廃止されたほか、月給が10〜30%削られ、旧正月と年末に出てきた成果給も支給中断が続出しているという。
 また、国策金融機関の中には支給済みの賞与を返納させるところもある。

 緊縮財政の名目を全面に出してた支出を抑えろという注文も相次いでいる。
 安徽省政府と江蘇省蘇州市政府は7月初め、夏の室内温度26度以上の維持、公務接待時の構内食堂利用、公用車8年25万キロ使用などの指針を管内の自治体に通達した。

 状況がここまで悪化したのはカンフル剤として与えた金融政策に効果がなく
   不動産バブル崩壊
による地方政府の税収減が主な要因という。
 中国の地方政府はこれまでマンション用地を建設業者に売却した収入で予算の40%以上を調達していた。
 不動産市場の低迷で売却収入が大幅に減り、財政が根本から揺らいでいる。
 給料に充てる資金がない一部地方政府が管内の寺に借金をしているという話まで伝わってきた。

 今年上半期の中国の国有地売却収入は1兆5263億元(約24兆9400億円)で前年同期を18.3%下回った。
 不動産市場の低迷が本格化する以前の2019年上半期と比べると、減少幅は55.7%に達している。
 2021年に土地売却収入が地方政府の財政収入に占める割合は42.5%に達した。
 財政収入の半分近くを占める土地売却代金が55%以上も減れば、地方政府は
   健全な財政
を維持できない。
 広東省、浙江省、江蘇省など経済発展が進んだ沿岸部が最も大きな打撃を受けている。

 中国地方政府の財政難は昨年から既に始まっており、数カ月間も賃金を遅配したり、賃金をカットしたりする地方政府が続出していた。
 昨年9月、吉林省長春市九台区では退職教師に対する年金支給が滞り、元教師らが市政府庁舎に押しかけて抗議する騒ぎが起こった。
 また、山東省浜州市傘下の地方政府では8カ月も賃金を支給できなかったところ出ている。
 南京市高淳区政府も昨年8月、月給を払えず、近隣の江寧区政府から資金を(公安部門の嫌がらせをチラつかせるなど強制的に)借りて賃金を支給したというニュースがソーシャルメディアに掲載されました。
 
 北京に近い天津市でも一部自治体の財政が枯渇している。
 公共交通、清掃などを担当する政府機関の職員に給料を支払えなくなった。
 住民は自由アジア放送(RFA)のインタビューに対し、「天津市では河北区など少なくとも4つの自治体は財政が厳しく、数カ月間給料を払えない状況だ。ある公務員が管内にある大慈寺の住職に賽銭を借りようとしたが、寺側も事情が厳しいとして断ったという」と明らかにした。
 
 こうした金詰まりの状況は今年に入ってさらに悪化している。
 ポータルサイト「網易」では、あるブロガーは7月初め、「匿名を要求する上海財政局のある職員が上半期の財政報告書の収支を合わせるため、市内の静安寺、竜華寺、玉仏寺などの寺院から100億元の短期資金を借りたと語った。うち正安寺が48億元で最も多額の資金を貸した」と投稿した。上海市の財政当局は直ちに「フェイクニュース」だと否認しました。
 しかし、資金源が途絶えた地方政府が寺院からお金を借りているという情報が絶えず流れている。

 中国政府も地方の財政難を認めながら、解決策づくりに乗り出している。
 中国共産党は今年7月、習近平政権3期目の経済政策を提示した
   中国共産党第20期中央委員会第3回全体会議(3中全会)
の決定文で、「消費税を段階的に地方政府に移転する」とし明らかにした。
 李強首相は今年3月の全国人民代表大会(全人代)の政府活動報告で「各級政府はコスト削減に慣れなければならない」と指摘した。

 中国では消費税は増値税(付加価値税)、企業所得税、個人所得税と並び中国の4大税目に挙げられいる。
 酒類、たばこ、化粧品、貴金属、宝石、燃油、車両、ゴルフクラブ、高級時計、ヨット、電池などが課税対象となる。
 主にぜいたく品や環境汚染の要因となる商品が課税されてきた。

 中国の4大税目のうち、残る3つは中央政府と地方政府が分配しており、消費税は全て中央政府の歳入となってきた。
 地方政府の財政難を解消するため、その消費税の一部を地方に移転しようと明らかにしたが、地方政府の役人が予算の一部をキックバックするため表に流れる真水は少ない。
 なお、昨年の消費税収は1兆6100億元で、中国の税収全体の8.9%を占めている。

 中国は税収全体の45%を中央政府、残る55%を地方政府で分け合う構造だが、財政支出は地方政府が全体の85%を占め、はるかに多いのが現状となっている。

 教育、医療、養老年金など一般国民の生活と直結する支出は全て地方政府の役割として責任を転嫁している。
 消費税を一部の地方に移譲したとしても、不動産問題が解決されない限り、財政難を解消するのは容易ではない。

 地方政府はさまざまな対策を打ち出しており、蘇州市政府は高速鉄道が整備された地域に出張する際に公用車の使用を禁止し、公務上の接待も構内食堂を使うように指示したという。
 安徽省政府は冬の暖房温度を20度以下、夏の冷房温度を26度以上とするよう通達した。
 陝西省政府はオフィスのインテリア禁止令を出し、湖南省政府は公用車を8年、25万キロ以上使用するよう指示した。
  

ひとこと
 中国共産党の独裁政治の末期的状態が出ているようだ。
 中国の歴史を見ればこうした状況に気候変動が加われば、各地で反乱や農民一揆等が起こり王朝が倒れ大混乱となり、人口崩壊が繰り返されてきた。
 同じ状況が起きそうだ。

    
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大谷翔平に日本人ファンが大声援 チケット完売、4万8320人

 米国大統領リーグ、ドジャースの大谷翔平選手(30)は29日、レギュラーシーズンの全試合を終え、本塁打と打点の2冠を確実にした。
 また、ロッキーズ戦が行われたコロラド州デンバーの球場にはドジャースファンや日本人が多く訪れ、記録ずくめの1年を送った大谷に大きな声援を送った。
 チケットは完売し、球場には4万8320人が詰めかけ、敵地ながら大谷が打席に入るたびに歓声が上がり、ファンは打球の行方を熱いまなざしで見守った。
  

ひとこと
 シーズン前のゴタゴタが大谷翔平選手のシーズン始まり当初に大きな影響があったようで、こうした問題がなければ更に大記録が出たことだろう。 

   
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今月の会合で政策金利を0.5ポイント引き下げた連邦公開市場委員会(FOMC)の判断を正当化

 ブルームバーグ・エコノミクスの
   スチュアート・ポール氏
らは「8月の個人所得と個人消費支出、物価データが市場予想を下回ったことは、今月の会合で政策金利を0.5ポイント引き下げた連邦公開市場委員会(FOMC)の判断を正当化する」と指摘した。
 また、「基調的なインフレ圧力が緩和する中、金融当局は2つの責務のうち雇用最大化の方により重点を置くようになるとわれわれは考える」と続けた。

   
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オーストリア下院選で極右・自由党が第1党の勢い

 オーストリアで29日、国民議会(下院、183議席)選挙が投開票された。
 極右・自由党が第1党となる見通しとなった。
 同党を率いるキクル党首は、新たな連立政権について交渉を開始すると表明した。

 ほぼ3分の2の開票が済んだ段階で公共放送のオーストリア放送(ORF)が推計したところによれば、自由党の得票率は約29%だった。
 ネハンマー首相の中道右派、国民党が26%、社民党は21%と拮抗した状況となっている。


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選挙や景気巡る懸念な広がる中厳しい9月乗り切った米国株だが、10月も上昇の動き?

 米国株式市場は、1年で最も厳しいと言われる時期を日本銀行が低金利政策を維持したことで、インフレ要素を打ち消すことなどもあり乗り切った。
 逆に、日本経済は米国経済の犠牲となり、輸入物価の上昇で原料や穀物などの価格上昇が止まらず国民の資産の劣化が続いた。
 
 接戦となっている米大統領選や連邦公開市場委員会(FOMC)の政策転換、米経済のリセッション懸念をよそに、投資家は10月も相場が上昇を続けるとみている。

 S&P500種株価指数は週間ベースで前週まで3週続伸し、7−9月(第3四半期)はこれまで5.1%高となっている。 
 このままいけば1−9月期の上昇率は1997年以来最大となる。
 また同指数の時価総額は初めて50兆ドル(約7110兆円)を超えてきていた。
 そして興味深いことに、これら全てが9月という、歴史的に見て株式市場にとって最悪の月に起きた背景を考えることが必要だろう。

 この上昇の大半は、これまで長期にわたり多くの成長をもたらしてきた
   大手ハイテク企業の恩恵
を受けることなくもたらされた。
 実際のところ、ハイテク銘柄中心のナスダック100指数は第3四半期に1.7%高にとどまった。
 一方で、S&P500種の均等加重バージョンであるS&P500イコールウエート指数は9%近く上げている。 
 FOMCが利下げによりソフトランディングを達成するという期待感に後押しされる形で、相場の上昇が幅広いものになっていることを意味しており、欧米の投資銀行が意図的に引き上げてきたテーマの終焉で莫大な資産を懐に入れ込み、次なるテーマを模索すべき、投資資金の広がりを促している状況にある。
 特に、日銀の異次元の金融政策で安価に利用できた日本国民の資産が円安に伴い、日本企業の株式も囲い込みにあり、相互持ち合いにある企業や内部留保を増やしてきた企業、海外資産を増やした企業等への投資拡大から、円高にギヤを切り替えさせることで利益の草刈り場を作り出してしまった。
 これも愚かな政治が小泉政権の規制緩和行政改革などといた外圧に抵抗力をなくしてしまった状況から事業仕分け、民間最優先などを旗頭にした野党政権など国益を害する行為をマスコミを使った情報操作で多数の国民の思考劣化を誘い、意識しなければ気が付かないような思考を植え付けてきたことが背景となっている。
 特に、パブロフの犬の如き反射的に対応するクイズ番組や同調的な発言を組み込んだ偏向報道がクリ消し流れていることも意識すべき問題だろう。

 ここから先に問題となるのは、この米国株式の上昇を10月中、さらには年末にかけて継続できるのか、もし継続できるとすれば、どのような展開になるのかということがある。
 ポジショニングのデータによると、トレーダーや投資家は今夏の初めにはディフェンシブな姿勢だったが、その後はヘッジに動くほどは懸念していないという

 懸念すべき理由としてはFOMCは、急速なインフレと積極利上げを経て、現在はソフトランディングを達成しようと努めているがそうした試みが成功することはまれなことだ。
 さらに、ニューヨーク地区連銀によると、向こう12カ月にリセッションに陥る確率は依然高いままとなっている。

  
  
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フーシ派の攻撃に報復との名目で、イスラエル空軍がイエメンで港湾と発電所を空爆

 イスラエル軍は29日、イスラエルの戦闘機がイエメンの港湾と複数の発電所を攻撃したことを明らかにした。
 イエメンの親イラン武装組織フーシ派が今月半ばに発射したミサイルはイスラエル中部に到達していた。

 イスラエル軍の発表によると、空爆は紅海沿岸の港湾都市ホデイダなどで
   石油インフラ
を標的に行われた。
 フーシ派が運営するイエメンのテレビ局アルマシラは、4人が死亡し、33人が負傷したと報じている。
  
 現地住民の話では、イスラエルの空爆はホデイダ港の燃料貯蔵タンクを直撃し、現場からは煙が立ち上っているのが見えたという。
  
 フーシ派は27、28両日にもイスラエルの商都テルアビブに向けてミサイルを発射したとの声明を出していた。
 なお、これらミサイルはイスラエルの防空システムによって迎撃された。
   
   
ひとこと
 和平交渉の進展で政治生命が断たれかねない汚職問題のある崖っぷちネタニアフが意図的に「レッドライン」を超えるよう戦闘地域の拡大を狙ったものであり、強硬姿勢を貫いて無差別な攻撃が続いている。
 原油価格の下落を止めるこうした戦術はイランが本腰を入れればホルムズ海峡ルートが遮断され。石油ショックなど世界経済の大きな害を生じさせかねないネタニアフの暴走となっている。
 
  
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不正で揺らぐ株主の信認 トヨタ会長に反対票を投じた国内機関投資家も利益相反の問題行動は排除すべきだろう

 トヨタ自動車では、自動車の量産に必要な型式指定を取得する認証試験での不正が発覚した。
 企業の統治能力が問題視されるトヨタ自動車の豊田章男会長への信任に反対する動きが国内の機関投資家にも広がっている。
 開示が出そろいつつある今年の
   株主総会の議決権行使結果
では強い調子で非難する社もあり、来年以降の同氏の続投に不安を残す結果となった。

 機関投資家を含む国内の「金融機関・証券会社」はトヨタの株主の40%近くを占める最大勢力で、これまで物言わぬ利益相反のまま、本来であれば株主への配当に回すべき内部留保資金を企業内部に蓄えていることを問題視もせず、機関投資家の出向者の拡大ばかりを狙った背任行為とも言える行動ばかりで狂った企業行動を結果として支援し、会社の信頼性を損ねてきた共犯でもあった。
 
 今年発覚した問題について、ニッセイアセットマネジメントでは豊田氏を含む取締役候補10人全員の選任について、「重大な反社会的行為に関する基準に該当」するとの理由で反対した。
 重大な不祥事は社会の信頼を失うだけでなく、市場評価や企業価値の低下を招くと考えており、取締役の選任議案で「厳しく対応」しているとしたが、まだまだ対応が手ぬるいだろう。
 
 かつて、豊田佐吉が織機生産のため設置された名古屋資本の企業で、経営能力が伴わず社長の座を追われたことが何度かあるのは周知のことだ。
 ふざけた企業の問題行動も宣伝・広告費などの利害関係から新聞やTVなどのマスコミの情報も忖度があり、偽データなどはそもそも、法令に反しなくとも、自社で決めた手順等を守らないまま放置していた事自体が、消費者への詐欺行為ということで、マスコミに頭を下げる映像が流れれば消えるものではない。

 国内機関投資家が保有する資産の最大化を狙った動きを強めることで企業の暴走を止めることは可能であり、無能な経営者や経営幹部への問題行動に伴う企業に発生させた価値の喪失に対する株主訴訟を起こすべきである。
 欧米国際資本が主体となるだろうが、今後の動向次第では豊田氏が経営トップの座を追われる可能性もある。
 豊田氏自身も7月、国内機関投資家の反応について自社メディアで「この1年の私の振る舞いで要は半分の方がやめてくださいよといっていること」との見方を示し、「このペースでいくと来年は取締役としてはいられなくなる」と述べた。
 逆に、来年まで居座るつもりということだ。

 また、三菱UFJアセットマネジメントは、豊田氏のほか早川茂副会長と佐藤恒治社長の取締役選任にも反対した。ダイハツ工業などグループ企業での不正に関して同社の監督責任は重く、「グループガバナンスに対し警鐘を鳴らす必要がある」との判断から代表権を持つ3氏の再任に反対したという。

 創業者である豊田喜一郎氏の孫にあたり、2009年の社長就任以来トヨタの経営を担ってきた豊田氏だが、グループ企業も含めた認証不正などの影響で長く90%超を維持していた定時総会での取締役選任案への賛成率は23年に84.57%、今年は71.93%まで低下した。
 中でも海外の機関投資家の賛成率は33.6%と低く、国内機関投資家も55.3%と70%を超えていた昨年から急減したという。

 三井住友DSアセットマネジメントなどは豊田氏と早川氏の選任に反対した。
 同社は佐藤氏を賛成とした理由について、社長や取締役就任から間がなく、事案に関する責任は問わなかったとした。

 富国生命投資顧問は同じく豊田氏と早川氏の選任に反対した。
 グループ会社での不祥事を受けて実施した会社側との対話を踏まえて昨年は賛成としたが、その後も不祥事が発生し、「社会に深刻な影響を与えている」として反対に回った。

 豊田氏の選任に賛成した金融機関も少なくないが、日本生命保険は会社側との対話を通じて、原因究明や責任の所在の明確化、再発防止策の策定などについて「対応済みであることが確認できた」として豊田氏を含め取締役全員の選任案に賛成したとしているが、利害の相反の視点が欠落しているのではないだろうか。
 企業活動に賛成する機関投資家から多くの幹部社員が出向しており、こうした社員等の処遇との天秤に注目が必要だろう。

 日興アセットマネジメントは、トヨタが打ち出した風土改革や企業文化の醸成策を前向きに評価。経営トップによる改革の完遂を期待して「例外的に」賛成した。
 三菱UFJ信託銀行は取締役全員の選任案に「特段問題なく、賛成」したという。

 国内の機関投資家は「都合よく作った独自判断基準を機械的に当てはめ」問題無しとする姿勢自体が問題だろう。
 
ひとこと
 機関投資家では損保・生保などは保険料の料金の増加に繋がりかねない問題にも注意が必要だ。
 また、金融機関も保有資産の劣化となりかねないといた視点が必要であり、甘い日本の機関投資家の質が問われている。
 
   
posted by まねきねこ at 06:15| 愛知 | Comment(0) | イベント 出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

石破氏の総裁選出を受け、大阪取引所の日経平均先物は一時6%下落

 自民党の石破茂・新総裁選出は市場で驚きをもって受け止められたが、日本株は週明け30日の取引で下落する可能性が高い。
 日本銀行の段階的な利上げ姿勢を石破氏が容認するのではないかとの見方が背景にある。

 27日の石破氏の総裁選出を受け、大阪取引所の日経平均先物は夜間取引で一時6%下落した。

 決選投票の結果判明に先立ち、利上げに否定的な高市早苗経済安全保障担当相が勝利するとの観測が広がる中で、日経平均株価は2.3%高で27日の取引を終えていた。

 アナリストによると、石破次期首相の政策がより明確になるまでは、株式相場は短期的に大きな変動に見舞われそうだ。
 石破氏の勝利を受け、円相場は急上昇した。
 円高は輸出企業にとって足かせとなる一方、金利上昇に伴う増益期待から銀行には追い風となる公算が大きい。
 日本の軍事力強化を目指す石破氏の方針は、防衛セクターへの恩恵が期待されると一部のアナリストは指摘する。

 石破氏は日銀の独立性と金融正常化の軌道を原則として支持する立場だが、デフレ脱却の必要性も同時に訴えてきた。

 29日に出演したフジテレビの番組「日曜報道THE PRIME」では、今の金融緩和の方向性は維持していかなければならないと明らかにした。
 当局が判断することと前置きしながらも、「デフレが脱却できたと断言できない状況の中で、金利をうんぬんかんぬんと言ってはいけないと思う」と述べ、金融政治介入を繰り返してきたこれまでの忖度政治とは一線を画する金融行政の適正化とも取れる発言を行った。
  
   
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2024年09月29日

アジア版NATOで核共有検討と「在グアム自衛隊」提案するのはロシアや中国、暴走する北朝鮮等の軍事侵攻を阻止するためには最低限の水準だろう

 自民党の石破茂新総裁は27日付の米シンクタンク「ハドソン研究所」への寄稿で、アジア版北大西洋条約機構(NATO)創設が「不可欠だ」と訴えた。
 また、抑止力確保に向け、アジア版NATOで米国の「核の共有や持ち込み」を検討すべきだと続けた。
 寄稿では、軍事協力を深めるロシアと北朝鮮との間で「核技術の移転が進んでいる」と指摘した。
 急速に核戦力を強化する中国にも触れ、米国の核戦力で同盟国を守る「拡大抑止」が「機能しなくなっている」と懸念を示した。
 また、中朝ロの「核連合」に対抗する抑止力を確保すべきだと強調した。
 さらに、米英同盟並みに「対等な国」へと日米同盟を強化すべきだと表明した。

 日米安全保障条約や地位協定の改定を通じ、米領グアムに自衛隊を駐留させることを提案し、外交・安保政策の柱として国家安保基本法の制定を急ぐ考えも示した。
    
   
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メグ・ホイットマン(Margaret Cushing Whitman)1998年から2008年までeBayの社長兼最高経営責任者(CEO)

マーガレット・クッシング・ホイットマン(Margaret Cushing Whitman)
   1956年8月4日生まれ
 米国のビジネスエグゼクティブ、外交官、政治家
 2022年からケニア駐在米国大使を務めている。
 ホイットマンは1998年から2008年までeBayの社長兼最高経営責任者(CEO)を務めた。
 その後、2011年から2015年にかけて、同社の大規模な分割中に
   ヒューレット・パッカード・エンタープライズ
の社長兼CEOに就任した。
 2018年の立ち上げから2020年の閉鎖までQuibiのCEOを務めた。

 共和党員であるホイットマンはカリフォルニア州知事に立候補した。
 しかし、2010年のカリフォルニア州知事選挙で元知事の
   ジェリー・ブラウン
に敗れた。
 ホイットマン氏は2008年と2012年の両大統領選挙で共和党の
   ミット・ロムニー氏
の選挙対策幹部を務めた。
 2016年の大統領選挙では民主党のヒラリー・クリントン氏、2020年の大統領選挙ではジョー・バイデン氏をそれぞれ支持した。

 ホイットマンはウォルト・ディズニー・カンパニーの幹部で、1980年代を通じて戦略計画担当副社長を務めた。
 1990年代にはドリームワークス、プロクター・アンド・ギャンブル、ハズブロの幹部を務めた。
 ホイットマンはeBayに10年間在籍し、従業員30名、年間収益400万ドルから、従業員1万5000名以上、年間収益80億ドルへの成長を監督した。
 2014年、ホイットマンはフォーブスの「世界で最も影響力のある女性100人」で20位に選ばれた。

 2008年、ホイットマンはニューヨークタイムズ紙によって、米国初の女性大統領になる可能性が最も高い女性の一人として挙げられた。
 彼女は2010年にカリフォルニア州知事選に出馬し、共和党予備選挙で勝利した。
 2010年の純資産は13億ドルでカリフォルニア州で5番目に裕福な女性であり、当時、米国の歴史上、他のどの政治候補者よりも多くの私財を単一の選挙に費やした。
 彼女が選挙に使った私財1億4400万ドル(キャンペーンは寄付金を含めて総額1億7850万ドルを費やした)を上回ったのは、2020年の大統領選挙でマイケル・ブルームバーグだけである。
 ホイットマンは2010年のカリフォルニア州知事選で、民主党の元知事ジェリー・ブラウンに54%対41%で敗れた。

 2021年12月、ホイットマン氏はジョー・バイデン大統領から ケニア駐在米国大使に指名された。
 彼女は2022年7月に承認され、翌月に就任した。
 
 ホイットマンはニューヨーク州コールドスプリングハーバーで、
   マーガレット・クッシング(旧姓グッドヒュー)
   ヘンドリックス・ハレット・ホイットマン・ジュニア
の娘として生まれた。
 ]父方の高祖父であるエルナサン・ホイットマンは、ノバスコシア州議会議員だった。
 また、ホイットマンは父方を通じてイリノイ州選出の米国上院議員
   チャールズ・B・ファーウェル
の玄孫でもある。

 母方では、歴史家で法律家の
   マンロー・スミス
の曾孫、南北戦争で北軍の将校としてゲティスバーグの戦いでの功績で知られる
   ヘンリー・S・ホイデコパー将軍
の玄孫にあたる。
 彼女の父方の祖母は、アデレード・チャットフィールド=テイラーとして生まれ、作家のホバート・チャットフィールド=テイラーとその妻ローズ・ファーウェル・チャットフィールド=テイラーの娘であり、経済学者のウェイン・チャットフィールド=テイラーの姉妹であった。

 ホイットマンはニューヨーク州コールドスプリングハーバーのコールドスプリングハーバー高校に通い、3年後の1974年に卒業した。
 回想録によると、彼女はクラスの成績トップ10だったという。
 彼女は医者になりたかったので、プリンストン大学で数学と科学を学んだ。
 しかし、雑誌「ビジネストゥデイ」の広告を販売する仕事を夏にした後、経済学に転向した。

 彼女は「西ヨーロッパにおけるアメリカの消費者製品のマーケティング」と題した83ページに及ぶ卒業論文を完成させた。
 1977年にプリンストン大学で経済学の学士号を取得して卒業した。
 ホイットマンはその後、 1979年にハーバードビジネススクールでMBAを取得した。

 ホイットマンは1979年にオハイオ州シンシナティの
   プロクター・アンド・ギャンブル
でブランドマネージャーとしてビジネス・キャリアをスタートした。
 その後、ホイットマンは
   ベイン・アンド・カンパニー
でコンサルタントとして働くようになりった。
 彼女は昇進を重ね、上級副社長の地位を獲得した。

 ホイットマンは1989年に
   ウォルト・ディズニー・カンパニー
の戦略計画担当副社長に就任した。
 2年後、彼女はストライド・ライト・コーポレーションに入社し、 1995年にはフローリスト・トランスワールド・デリバリーの社長兼CEOに就任した。 

 1997年1月から
   ハズブロ
のプレイスクール部門ゼネラルマネージャーとして、プレイスクールとミスターポテトヘッドという2つの子供向けブランドのグローバルマネジメントとマーケティングを監督した。
 また、イギリスの子供向けテレビ番組テレタビーズを米国に輸入したこともある。

 ホイットマン氏はeBayに1998年3月に入社した。
 当時の従業員数は30名、年間収益は約400万ドルだった。
 当初はCEOを引き受けたくなかったが、彼女がCEOを務めていた2008年までに、同社は従業員約1万5000名、年間収益80億ドルに成長した。

 ホイットマン氏がeBayに入社した当初、彼女が目にしたウェブサイトは
   Courier書体
を使用したシンプルな白黒のウェブページだった。
 また、入社初日、サイトは8時間にわたってクラッシュした。
 彼女はサイトがわかりにくいと考え、新しい経営陣の編成から始めた。

 ホイットマン氏は会社を23の事業分野に分割して組織化した。
 次に、約3万5000のサブカテゴリを含め、それぞれに幹部を割り当てた。

 2002年、新規株式公開の直後
   PayPal
は15億ドルの評価額でeBayの完全子会社となった。
 2004年、ホイットマンは経営陣にいくつかの重要な変更を加えた。
 ジェフ・ジョーダンがPayPalを引き継ぎ、マット・バニックが国際事業を引き継ぎ、ビル・コブが米国事業を引き継いだ。
 米国事業にはカラフルな米国のロゴがあり、各国際サイトは独自のブランドを持っている。

 ホイットマンは2005年3月に
   ジョン・J・ドナホー
をeBayのeBayマーケットプレイスの社長に選び、eBayの世界的な電子商取引事業のあらゆる要素を担当させた。

 ホイットマンがCEOを務めていた2005年9月、eBayは現金と株式で41億ドルで
   Skype
を買収した。 
 eBayは後に支払いすぎたことを認め、2009年に
   シルバーレイク・パートナーズ
が率いる投資家グループにSkypeを27億5000万ドルで売却した。
 2011年、IPOの可能性に関する最初の書類が提出された後、
   マイクロソフト
がSkypeを85億ドルで買収した。

 2007年6月、ロイターとのインタビューの準備中に、ホイットマンは部下の広報担当の
   キム・ヨンミ
を突き飛ばしたとされている。
 この事件についてホイットマンは「どんなプレッシャーの大きい職場環境でも、緊張は表面化する可能性がある」と語った。
 キムも「確かに不幸な事件だったが、彼女とeBayにとって良い形で解決した」と述べた。
 この件は20万ドルの和解金で解決した。

 ホイットマンは2007年11月にイーベイのCEOを辞任した。
 しかし、その後も取締役会には残り、2008年後半まで新CEOジョン・ドナホーの顧問を務めた。
 彼女は2008年に米国ビジネスの殿堂入りを果たした。

 サンフランシスコ・クロニクル紙のインタビューで「私たちのような会社で舵取りを続けるには、10年くらいがちょうどいいとずっと言ってきました」と語り、「新しいリーダーシップ、新しい視点、新しいビジョンが必要な時です」と続けた。

 ホイットマンはeBayでの功績により数々の賞や称賛を受けた。
 フォーチュン誌では、最も影響力のある女性トップ5に何度も選ばれている。
 ハーバード・ビジネス・レビュー誌は、彼女を過去10年間で最も業績の良いCEOの第8位に選びんだ。
 ファイナンシャル・タイムズ紙は、彼女をこの10年間を形作った50人の人物の1人に選んだ。

 2011年1月、ホイットマンは
   ヒューレット・パッカード(HP)
の取締役会に加わった。
 彼女は2011年9月22日にCEOに任命された。
 HPの研究開発部門に再び重点を置くことに加え、ホイットマンがCEOとしての最初の年に下した大きな決断は、前任者が廃止を検討していると発表したPC事業を維持し、再び会社にコミットすることだった。

 2012年、ホイットマンはHPが前年に買収した英国のソフトウェア会社
   オートノミー
の価値を88億ドル減額すると発表した。
 この発表は最終的に2019年に英国で民事訴訟に発展し、ホイットマンは「減額の適切な計算」を行っていなかったと証言した。

 2013年5月、ブルームバーグは、アップルの
   ティム・クックCEO (12位)
とIBMの
   バージニア・ロメッティCEO (10位)
とともに、ホイットマンを「最も業績が芳しくないCEO」に選んだ。
 彼らの株価は、各CEOの就任以来、市場全体と比較して最も悪い数字を記録していた。
 HPの株価は、ホイットマンがCEOに就任して以来、30.7パーセントポイントの業績不振に陥り、リストのトップとなった。

 2017年7月26日、ホイットマンは
   ヒューレット・パッカード・エンタープライズ(HPE)
のCEOとして留任しながら、HP社の取締役会長を退任した。
 ホイットマンはHPEでの自身の立場をめぐるさらなる噂を否定し、ニューヨーク・タイムズ紙は「だから、できる限り明確にしておきたい。私はHPEに全力を尽くしており、同社のCEOに留まるつもりだ。HPEではまだやるべきことがたくさんあり、私はどこにも行かない」と述べた。

 2017年11月21日、ホイットマンが2018年2月1日付けでHPEのCEOを退任した。
 HPE社長のアントニオ・ネリがCEOに就任することが発表された。
 
 ホイットマン氏は、スマートフォン向けの短編メディアコンテンツアプリである
   キビ(Quibi)
のCEOを務めていた。
 2020年9月、発売からわずか5か月後、Quibiは初期投資額17億5000万ドルにもかかわらず、加入者数目標を達成できず、評価額5億ドルで売却または買収を検討していた。
 報道や分析では、この失敗の原因はコンセプト自体にあるとされた。

 また、ホイットマン氏の「経営する会社の業界での経験不足」によるリーダーシップの失敗であるとされている。
 アプリの失敗はシリコンバレーのテックエコシステムの多くの人々によって予測されており、批評家の
   ロブ・エンダール氏
はこれを「間違いに対する責任を取れないこと、部下をサポートできないこと、責任転嫁に集中すること、専門知識が不足していること」によるホイットマン氏の「度重なる失敗」の最新の例として挙げた。
 
 ホイットマンは、2009年初めまで、 eBay Foundation、Summit Public Sc​​hools、P&G、 DreamWorks SKGの取締役も務めた。
 彼女は2001年10月にゴールドマン・サックスの取締役に任命された。
 その後、ゴールドマン・サックスが運営する複数の公募で株式を受け取ったとの論争が巻き起こり、2002年12月に辞任した。
 彼女は不正行為を否定した。 
 また、ジップカーとティーチ・フォー・アメリカの取締役にも就任し、プロクター・アンド・ギャンブルの取締役にも再就任した。
 ホイットマンはサーベイモンキーの取締役も務めている。

 2018年、メグ・ホイットマンはeスポーツ団体Immortals Gaming Clubに投資し、役員に加わった。
 2019年11月、メグ・ホイットマンはFCシンシナティの少数株を購入した。
 ホイットマンはMLS理事会でクラブの副理事を務めた。

 2021年12月8日、ジョー・バイデン大統領はホイットマン氏をケニア駐在米国大使に指名した。
 彼女の指名に関する公聴会は2022年5月24日に上院外交委員会で開催され、同委員会は2022年6月9日に彼女の指名を好意的に報告した。
 2022年7月14日、彼女の指名は上院で口頭投票によって承認された。
 彼女は2022年8月5日にウフル・ケニヤッタ大統領に信任状を提出した。

 ホイットマンは2006年12月21日に夫のハーシュとともに慈善財団を設立し、940万ドル相当のeBay株30万株を寄付した。
 運営開始1年目の終わりまでに、グリフィス・R・ハーシュ4世とマーガレット・C・ホイットマン慈善財団は4600万ドルの資産を保有し、12万5000ドルを慈善事業に支出した。
 支出された資金のほとんどは環境防衛基金に寄付された。

 2010年、ウォーレン・バフェットはホイットマンに、億万長者が資産の半分を慈善団体に寄付することを約束する「ギビング・プレッジ」に参加するよう依頼したが、ホイットマンは断った。
 2011年、同財団はサンノゼ地域でいくつかのチャータースクールを運営するサミット公立学校に250万ドルを寄付した。 

 2020年現在、メグ・ホイットマンはティーチ・フォー・アメリカの全国理事長を務めている。

 2016年の共和党予備選挙の間、ホイットマンは
   クリス・クリスティ
の2016年大統領選挙運動の財務共同委員長を務めていた。
 クリスティが選挙から撤退し、その後
   ドナルド・トランプ氏
を支持したため、ホイットマンはそれを「驚くべき政治的日和見主義の表れ」と批判し、クリスティの他の寄付者に対した。
 トランプ氏を拒否するよう呼びかけた。

 ホイットマンはトランプ氏をアドルフ・ヒトラーとベニート・ムッソリーニになぞらえた。
 8月、ホイットマンはヒラリー・クリントンの2016年大統領選挙運動を支持し、「党への忠誠心だけでトランプ氏に投票することは、怒り、不満、外国人嫌悪、人種間の分裂を利用した候補者を支持することになる」と述べた。

 クリントン氏との政策の違いを認めながらも、ホイットマンはクリントン氏の「気質、国際経験、そしてアメリカの根幹となる国家的価値観への献身」を称賛した。
 彼女は共和党員全員に「党よりも国を優先する」よう呼びかけ、選挙運動を財政的に支援すると付け加えた。
 ホイットマン氏は2020年の民主党全国大会で、同党の大統領候補ジョー・バイデン氏を支持する演説を行った。
  
 2010年9月、不法労働者
   ニッキー・ディアス・サンティラン
は、、2000年から2009年までホイットマン家で家政婦兼乳母として雇われていたことを明らかにした。
 ホイットマン陣営は、サンティランが雇用前に運転免許証、社会保障ID、申請書などを提供したという文書を公開した。
 サンティランは、ホイットマンは彼女が不法滞在者であることを知っていたと述べ、彼女の社会保障番号が名前と一致しないことを示す2003年の社会保障局からの手紙を提示した。

 ホイットマンは当初、「それらの手紙を受け取ったことはない」と述べた。
 しかし、ホイットマンの夫からのものとみられる手書きのメモが文書に添付されていたことが示され、受け取ったかもしれないが忘れていたことを認めた。

 サンティランの弁護士グロリア・オルレッドは、サンティランが解雇されたのは選挙運動のためだと述べている。
 ホイットマン陣営は、オルレッドがジェリー・ブラウンの支持者であるとして、これは政治的攻撃であると主張した。
 ブラウン、オルレッド、サンティランはいずれもこれを否定した。

 アメリカ移民弁護士協会の理事
   クリスタル・ウィリアムズ
は、「書類を受け取ることが法律で求められているすべてであるだけでなく、それ以上の調査や異なる書類の要求を禁じる反差別法がある」と述べた。
 他の人はこれに反対した。移民弁護士の
   グレッグ・シスキンド
は、ホイットマンは雇用主であり、法律により書類には彼女の署名が必要であったが、署名されておらず、社会保障番号も記載されていなかったと述べた。

 フォートワース・スターテレグラム紙は、ホイットマンは「彼女を雇い、給料を支払い、9年間直接連絡を取っていた」ので、彼女の法的地位を知っているべきだったと指摘した。
 また、ロサンゼルス・タイムズ紙は、メイドが移民弁護士を見つけるのを手伝ってほしいと頼んだとき、ホイットマンがサンティランを「ゴミのように」扱ったこと、そしてホイットマンが「あなたは私を知らないし、私もあなたを知らない」と言ったことに、ラテン系有権者はより関心を持っている可能性が高いと指摘した。
 
 ゴールドマン・サックスは、幹部がホイットマン陣営に10万ドルを寄付し、ホイットマンの財産の一部を管理している。
 eBayのCEOとして、ホイットマンは、ゴールドマン・サックスと取引のある幹部が、同行が提案する人気IPOで一般公開前に早期取引を獲得し、利益を得るというスピニングと呼ばれる慣行により、約178万ドルを稼いだ。

 ホイットマンは、ゴールドマン・サックスから彼女が株式を受け取ったことに対する懸念が表明された。
 その後、ゴールドマン・サックスの取締役を辞任した。

 ゴールドマン・サックスの取締役を辞任したことについて、eBayの広報担当ヘンリー・ゴメスは当時ウォール・ストリート・ジャーナル紙に、「ゴールドマンのサービスを利用したい場合、彼女は、いかなる利益相反もわずかでも認識されることを望んでいません。彼女は、同社を非常に高く評価しているため、このような行動を取っています」と語った。

 ホイットマンはゴールドマン・サックスの取締役を務めていた間、報酬委員会に所属し、当時のCEO
   ヘンリー・ポールソン
と彼の最高幹部に対する数百万ドルのボーナスパッケージを承認した。

 公開された文書は、ホイットマンがゴールドマン・サックスが管理する21の投資ファンドに数百万ドルの株式を保有していることを明らかにしている。

 ゴールドマン・サックスはカリフォルニア州の財政に多額の投資をしており、ゴールドマン・サックスとのこうしたつながりは知事選挙中にかなりの論争を巻き起こした。
 これに対してホイットマンは利益相反の可能性を排除することを誓い、知事に選出された場合は直ちにゴールドマン・サックスの株式を売却し、ゴールドマン・サックスが管理する投資を盲目的信託に入れることを公に述べた。

 ホイットマンは、カリフォルニア大学デービス校の脳神経外科部長で、以前はスタンフォード大学医療センターに勤務していた
   グリフィス・ハーシュ4世
と結婚した。
 2人の間にはグリフィス・ハーシュ5世とウィリアム・ハーシュという2人の息子がいるが、2人とも大学時代に暴力行為に悩まされた。
 プリンストン大学に2007年に完成した全寮制の大学であるホイットマン・カレッジは、メグ・ホイットマンの3000万ドルの寄付により彼女の名前が付けられた。

   
   
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ファイザー(Pfizer Inc. ) 米国の多国籍 企業で世界最大の製薬およびバイオテクノロジー企業

ファイザー(Pfizer Inc. )  
 ニューヨーク市マンハッタンのスパイラルに本社を置く米国の多国籍 製薬およびバイオテクノロジー企業
 免疫学、腫瘍学、心臓病学、内分泌学、神経学の医薬品とワクチンの開発と製造を行っている。

 売上高が最大の製品は、ファイザー・ビオンテックの
   COVID-19ワクチン(2023年の売上高110億ドル)
   アピキサバン(2023年の売上高60億ドル)
   肺炎球菌結合型ワクチン(2023年の売上高60億ドル)
   パルボシクリブ(2023年の売上高40億ドル)
   タファミジス(2023年の売上高30億ドル)
がある。
 2023年の同社の売上高の46%は米国から、6%は日本から、48%はその他の国から得られた。
 同社はフォーチュン500社ランキングで38位[ 4 ]、フォーブス・グローバル2000社ランキングで39位にランクされている。

 収益 585億米ドル (2023年)
 営業利益 21.7億米ドル (2023年)
 純利益 21.2億米ドル (2023年)
 総資産 2,265億米ドル (2023年)
 総資本  890.1億米ドル (2023年)
 従業員数 約 88,000人 (2023年) 

 ファイザーは1849年にニューヨークで2人のドイツ人起業家
   チャールズ・ファイザー(1824–1906)
と彼の従兄弟の
   チャールズ・F・エアハート(1821–1891)
によって
   チャールズ・ファイザー・アンド・カンパニー
として設立された。
 この2人はドイツのルートヴィヒスブルクから米国に移住した人物である。
 この会社は化学物質を生産し、ニューヨーク州ウィリアムズバーグのバートレット通りに本社を置いた。
 サントニンと呼ばれる駆虫薬を生産してすぐに成功しました。
 1880年代にファイザーはクエン酸の生産により成長した。
 ファイザーは、研究所と工場を拡張するためにこの地域(現在のニューヨーク州ブルックリン市のウィリアムズバーグ地区、1898年からはグレーターニューヨーク市)の土地を購入し続け、1960年代までフラッシングアベニューにオフィスを構えていた。

 ブルックリン工場は最終的に2009年に閉鎖された。
 クエン酸での成功に続いて、ファイザーとエアハートは、金ぴか時代の富が集中していたことで知られる近くのクリントンヒル地区に主な拠点を構えた。
 1881年、ファイザーはマンハッタンのメイデンレーン81番地に管理本部を移転し、翌年シカゴへの事業拡大を予告した。
 1906年までに売上高は300万ドルを超えた。

 第一次世界大戦によりクエン酸カルシウムが不足した。
 ファイザーはクエン酸の製造のためにイタリアからこの化合物を輸入していた。
 欧州での戦争の拡大の影響から供給が途絶えたため、代替品の探索を開始した。

 同社は、糖を発酵させてクエン酸にすることができる菌類を見つけた。
 1919年までに、同社はこの供給源からクエン酸の生産を商業化することの成功した。
 その結果、同社は発酵技術の専門知識を開発した。

 これらのスキルは、第二次世界大戦中に負傷した連合軍兵士の治療の必要性に応えて、抗生物質である
   ペニシリン
の大量生産に応用された。
 また、ペニシリンの生産量を向上させることに関連した世界的な
   土壌収集プログラム
に着手し、最終的に135,000のサンプルを収集した。
 1942年6月2日、同社はデラウェア州一般会社法に基づいて設立された。
 
 ペニシリンの価格低下により、ファイザーはより大きな利益が見込める新しい抗生物質を探した。
 ファイザーは1950年に
   オキシテトラサイクリン
を発見し、これにより同社はファインケミカルメーカーから研究ベースの製薬会社へと変貌した。
 ファイザーは発酵技術の研究を強化するために
   in vitro合成
に焦点を当てた創薬プログラムを開発した。

 1959年、同社はインディアナ州テレホートに700エーカー(2.8 km 2)の農場と研究施設を備えた動物衛生部門を設立した。
 1950年代までに、ファイザーはベルギー、ブラジル、カナダ、キューバ、メキシコ、パナマ、プエルトリコ、イギリスにオフィスを設立しました。
 1960年に同社は医療研究ラボの業務をニューヨーク市からコネチカット州グロトンの新しい施設に移転した。
 1980年にファイザーは処方抗炎症薬フェルデン(ピロキシカム )を発売した。
 この薬はファイザー初の10億ドルの収益を達成した製品となった。

 1965年、ジョン・パワーズ・ジュニアがジョン・マッキーンの後任として同社の最高経営責任者に就任した。 
 1970年代から1980年代にかけてブルックリン工場周辺の地域が衰退していくにつれ、同社はニューヨーク市と官民パートナーシップを結び、低・中所得者向け住宅の建設、ホームレス向けアパートの改修、チャータースクールの設立などを行った。

 1972年、エドマンド・T・プラット・ジュニアがジョン・パワーズ・ジュニアの後任として同社の最高経営責任者に就任した。
 1981年に同社は、カンジダ症、ブラストミセス症、コクシジオイデス症、クリプトコッカス症、ヒストプラズマ症、皮膚糸状菌症、白癬菌症などの重篤な真菌感染症に対する初の経口治療薬である
   ジフルカン(フルコナゾール)
の承認を取得た。

 1986年、ファイザーは、アメリカ感染症学会が市中肺炎の特定の症例の第一選択治療薬として推奨しているマクロライド系抗生物質
   ジスロマック(アジスロマイシン)
の全世界的権利をプリバから取得した。

 1989年、ファイザー社の科学者ピーター・ダンとアルバート・ウッドは、高血圧と狭心症(冠動脈疾患に伴う胸痛)の治療薬として
   バイアグラ(シルデナフィル)
を開発した。
 1991年、この薬はイギリスで心臓薬として特許を取得した。
 この薬の初期の治験では心臓病の治療には効果がないことが示された。
 しかし、臨床試験のボランティアは薬を服用してから数日後に勃起が増加した。

 この薬は1996年に米国で特許を取得し、 1998年3月に食品医薬品局の承認を受けた。
 1998年12月、ファイザーはボブ・ドールをこの薬の広報担当者として雇った。
 なお、バイアグラの特許は2020年に失効した。

 1991年、ウィリアム・C・スティア・ジュニアがエドマンド・T・プラット・ジュニアの後任として同社の最高経営責任者に就任した。
 1991年、ファイザー社は、選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)の抗うつ薬
   ゾロフト(セルトラリン)
の販売を開始した。
 この薬は、ファイザー社の化学者
   ケネス・コー
   ウィラード・ウェルチ
が9年前に開発したものであった。
 セルトラリンは、主に成人の外来患者のうつ病のほか、成人と小児の強迫性障害、パニック障害、社会不安障害に処方されている。
 ジェネリック医薬品になる前年の2005年には、売上高は30億ドルを超え、1億人以上がこの薬で治療を受けていた。
 なお、ゾロフトの特許は2006年夏に失効した。

 1996年、日本のエーザイはファイザーと提携し、食品医薬品局からアルツハイマー病の治療薬として
   アリセプト
というブランド名のドネペジルの承認を取得した。
 ファイザーはまた、ジヒドロピリジン系カルシウムチャネル遮断薬クラスの降圧薬であるノルバスク(アムロジピン)の承認も取得した。

 1997年、同社は高コレステロール血症の治療薬であるスタチンである
   リピトール(アトルバスタチン)
についてワーナー・ランバート社と共同販売契約を締結した。
 アトルバスタチンは5番目に開発されたスタチンであった。
 なお、臨床試験ではアトルバスタチンが他のスタチン薬よりも低密度リポタンパク質パターンC(LDL-C)をより劇的に減少させることが示された。
 2011年に特許が切れるまで、リピトールは史上最も売れた薬となり、14年半で約1250億ドルの売上を記録した。
 
 2001年、ヘンリー・マッキネルがウィリアム・C・スティア・ジュニアに代わって同社の最高経営責任者に就任した。]
 2002年、ビル&メリンダ・ゲイツ財団はファイザーの株式を購入した。
 2004年に同社は、てんかん、神経障害性疼痛、線維筋痛症、むずむず脚症候群、全般性不安障害の治療に使用される抗けいれん薬および抗不安薬であるリリカ(プレガバリン)の承認を取得した。
 リリカの米国特許はジェネリック医薬品メーカーによって異議が申し立てられ、2014年に維持され、有効期限が2018年まで延長された。

 2006年7月、ジェフ・キンドラーがヘンリー・マッキネルに代わり最高経営責任者に任命された。
 2006年12月3日、ファイザーは、心臓病と相関関係にあると考えられているLDLを減らすHDLの生産を増やす薬、
   トルセトラピブ
の開発を中止した。
 15,000人の患者を対象とした第3相臨床試験で、この薬を服用したグループで予想以上の死亡が発生したためだ。
 トルセトラピブとリピトールの併用を服用した患者(試験期間中に82人が死亡)の死亡率は、リピトールのみを服用した患者(試験期間中に52人が死亡)よりも60%高かった。
 リピトール単独は結果に関係していなかったが、ファイザーは失敗した薬の開発で10億ドル近くを失い、発表当日に株価は11%下落した。

 2007年から2010年の間に、ファイザーは 調査と訴訟費用に330万ドルを費やし、約510万ドルを回収した。
 また、偽造処方薬の製造業者に対する民事訴訟で さらに500万ドルの回収が保留中だった。
 ファイザーは世界中で税関と麻薬の専門家を雇い、偽造品を追跡し、商標侵害の民事訴訟を起こすために使用できる証拠を集めた。

 2008年7月、ファイザーはミシガン州ポーティジの製造工場で275人の人員削減を発表した。
 ポーティジは以前、ファルマシアの一部として買収された
   アップジョン社
の世界本社があったところだ。
 
 2000年6月、ファイザーは
   ワーナー・ランバート社
を1160億ドルで買収した。
 連邦取引委員会 の反トラスト規制当局が課した条件を満たすため、ファイザーは
   RID(アタマジラミ治療用シャンプー、バイエルに売却)
やワーナー・ランバート社の
   抗うつ薬セレキサ(ゾロフトと競合)
など、いくつかのマイナー製品の株式を売却または譲渡した。
 この買収により、当時世界第2位の製薬会社が誕生した。

 2003年、ファイザーは
   ファルマシア
と合併し、その過程でサール社とSUGEN社を買収した。
 サール社は、嫌気性細菌や原生動物に特に使用されるニトロイミダゾール系抗生物質
   フラジール(メトロニダゾール)
を開発していた。
 サール社はまた、変形性関節症、成人の急性疼痛、関節リウマチ、強直性脊椎炎、月経痛、若年性関節リウマチの痛みや炎症の治療に使用されるCOX-2阻害剤および非ステロイド性抗炎症薬( NSAID )であるセレコキシブ(セレブレックス)も開発していた。

 タンパク質キナーゼ阻害剤に重点を置く企業であるSUGEN社は、シグナル伝達を阻害するための
   ATP模倣小分子の使用
を先駆的に進めていた。
 なお、SUGEN施設は2003年にファイザーによって閉鎖され、300人以上の雇用が失われ、いくつかのプログラムがファイザーに移管された。

 これには、2006年1月にFDAによって人間への使用が承認された癌治療薬
   スニチニブ(スーテント)
が含まれていた。
 関連化合物SU11654(トセラニブ)も犬の癌治療薬として承認されており、ALK阻害剤クリゾチニブもSUGENプログラムから生まれた。

 2006年10月、同社は
   PowerMed
を買収すると発表した。
 2009年10月15日、ファイザーは負債の引き受けを含め現金と株式で680億ドルで
   ワイエス
を買収し、ファイザーは世界最大の製薬会社となった。
 ワイエスの買収により、ファイザーは
   肺炎球菌結合ワクチン(商標名:プレベナー13)
を獲得した。
 これは侵襲性肺炎球菌感染症の予防に用いられる。2000年2月にワイエスが開発したオリジナルの7価ワクチンの導入により、米国の5歳未満の小児における侵襲性肺炎球菌感染症の発生率が75%減少した。

 ファイザーは2010年にワクチンの改良版を導入し、2017年にインドで特許を取得た。
 プレベナー13は、オリジナルの7価バージョンを超えて、13種類の細菌変異体をカバーしている。
 2012年までに、5歳未満の子供の侵襲性感染症の割合はさらに50%減少した。

 2010年にイアン・リードが同社の最高経営責任者に任命された。
 2011年2月、ファイザーは、当時2,400人の従業員を擁していたケント州サンドイッチにある英国研究開発施設(以前は製造工場でもあった)の閉鎖を発表した。
 2011年3月、ファイザーは
   キング・ファーマシューティカルズ
を36億ドルの現金で買収した。
 キングはアナフラキーショック治療薬の
   エピペン
などの緊急用注射剤を製造していた。

 2012年9月4日、FDAは慢性骨髄性白血病(CML)の治療薬として
   ボスチニブ(ボスリフ)
を承認した。
 CMLはまれなタイプの白血病で、主に高齢者に発症する血液と骨髄の病気である。 

 2012年11月、ファイザーは食品医薬品局から、関節リウマチと潰瘍性大腸炎の治療薬としてトファシチニブの一種である
   ゼルヤンツ
の承認を受けた。
 この薬は2018年に17億7000万ドルの売上を上げ、2019年1月には
   アダリムマブ(ヒュミラ)
を抜いて米国で消費者向け直接広告のトップの薬となった。

 2013年2月1日、ファイザーの農業部門であり後にファイザーアニマルヘルスとなった
   ゾエティス
は、新規株式公開により公開会社となり、22億ドルを調達した。
 2013年後半、ファイザーはゾエティスの残りの株式の企業スピンオフを完了した。

 2014年9月、同社は
   イノファーマ社
を2億2500万ドルで買収し 、マイルストーンペイメントとして最大1億3500万ドル を支払い、ジェネリック医薬品と注射薬の品揃えを拡大した。

 2015年1月5日、同社はRedvaxの経営権を取得し、ヒトサイトメガロウイルスを標的としたワクチンのポートフォリオを拡大すると発表した。
 2015年2月、同社は特定の種類の乳がんの治療薬として
   パルボシクリブ(イブランス)
の承認を食品医薬品局から取得した。
 2015年3月、同社はタネズマブの第III相試験をめぐって
   イーライリリー社
との協力を再開すると発表した。
 2015年5月、ファイザーと
   バー・イラン大学
の研究室は、医療用DNAナノテクノロジーの開発に基づく提携を発表した。 

 2015年6月、同社は髄膜炎菌ワクチンの
   NimenrixとMencevax
をグラクソ・スミスクライン社から約1億3000万ドルで買収した。

 2015年9月、ファイザーは
   ホスピーラ
を負債の引き受けを含め170億ドルで買収した。
 ホスピーラは世界最大のジェネリック注射薬製造業者であった。

 2015年11月23日、ファイザーと
   アラガン
は1600億ドルの合併計画を発表した。
 これは製薬取引としては過去最大、企業合併としては史上3番目に大きいものであった。
 提案された取引では、合併後の会社はアラガンのアイルランド共和国の所在地を維持することが想定されていた。
 その結果、新会社は比較的低い12.5%の法人税率の対象となった。
 なお、この取引は逆合併となり、アラガンがファイザーを買収し、新会社は社名を「ファイザーplc」に変更することになっていた。

  2016年4月6日、オバマ政権と米国財務省の発表を受けて、ファイザーとアラガンは合併契約を破棄した。
 法人税率引き下げのため企業が本社を海外に移転することを制限することを目的とした新しい法律を導入したためだ。

 2016年6月、同社は
   アナコール・ファーマシューティカルズ
を52 億ドルで買収し、炎症薬と免疫薬の両分野でポートフォリオを拡大した。
 2016年8月、同社は破産し ていた
   BINDセラピューティクス
の資産を4000万ドルで買収した。
 また、同社は
   バンブー・セラピューティクス
を6億4500万ドルで買収し、遺伝子治療の提供を拡大した。

 同年9月、同社はがん治療薬メーカーの
   メディベーション
を140億ドルで買収した。
 2016年10月、同社は
   オンコイミューン
から抗CTLA4モノクローナル抗体ONC-392のライセンスを取得した。

 2016年11月、ファイザーは
   CDC財団
と共同で、ボツワナにおける
   クリプトコッカス感染症
の「スクリーニングと治療」戦略を研究する研究に343万5600ドルを資金提供した。
 2016年12月、ファイザーは
の低分子抗生物質事業を15億7500万ドルで買収した。

 2018年1月、ファイザーはアルツハイマー病とパーキンソン病(パーキンソン病などの症状)の治療薬の研究を終了すると発表した。
 同社は約300人の研究者が職を失うことになると続けた。

 2018年7月、食品医薬品局は、ファイザーとアステラス製薬が開発した去勢抵抗性前立腺がん患者向けの
   エンザルタミド
を承認した。
 2018年8月、ファイザーはビオンテックと
   mRNAベースのインフルエンザワクチン
に関する共同研究開発活動を行う契約を締結した。
 2018年10月、2019年1月1日付けで、アルバート・ブーラが指導者であるイアン・リードの後任として最高経営責任者(CEO)に昇進した。

 イスタンブール、オルタキョイ にあるビアトリス製薬工場。アップジョンとマイランが合併するまで、この工場はファイザーのブランドであった。
 2019年7月、同社は最大8億1000万ドルで
   Therachon
を買収し、軟骨無形成 症などの症状の治療を目的としたTherachonの組み換え型ヒト線維芽細胞増殖因子受容体3化合物を通じて希少疾患ポートフォリオを拡大した。
 また、7月、ファイザーは
   Array Biopharma
を106億ドルで買収し、腫瘍学のパイプラインを強化した。

 2019年8月、ファイザーは自社の消費者向けヘルスケア事業を
   グラクソ・スミスクライン
の事業と合併し、グラクソ・スミスクラインが68%、ファイザーが32%を所有する合弁会社を設立し、上場企業にする計画を公表した。
 この取引は、グラクソ・スミスクラインがノバルティスのGSK-ノバルティス消費者向けヘルスケア合弁事業の株式を買収した2018年の取引に基づいている。
 この取引は、レキットベンキーザー、サノフィ、ジョンソン・エンド・ジョンソン、プロクター・アンド・ギャンブルなどの他の企業との交渉に続くものであった。

 2019年9月、ファイザーはCDC財団と共同で医療関連感染の追跡を調査する研究を開始し、2023年6月まで実施する予定である。
 2019年12月、ファイザーはCDC財団に、アフリカ9か国でクリプトコッカス症のスクリーニングと治療の研究を継続するためにさらに1,948,482ドルを授与した。
 
 2020年3月、ファイザーはCOVID-19治療薬開発を促進するためのCOVID-19 Therapeutics Acceleratorの資金調達手段に参加した。
  1億2500万ドルのこのイニシアチブは
   マスターカード
   ウェルカムトラスト
の両社と提携してビル&メリンダ・ゲイツ財団によって開始されあ。
 その後すぐにチャン・ザッカーバーグ・イニシアチブ、英国外務・英連邦・開発省、マドンナからの追加資金提供が発表された。

 翌月、国立衛生研究所財団は、 COVID-19ワクチンと医薬品の開発を優先し、加速するための
   協調研究戦略
を策定するための官民パートナーシップである「COVID-19治療介入およびワクチンの加速(ACTIV)」を発表した。

 ファイザーは業界の「リーダーシップ組織」としてパートナーシップに参加し、ACTIV主導の臨床試験に協力者として参加した。
 アルバート・ブーラCEOは、2021年4月15日に行われたGAVI COVAX AMC 2021投資機会発表イベント(別名One World Protected)に出席した。 

 カナダでは、ファイザー社が、COVID-19ワクチン接種の状況を記録・追跡するために、CANImmunize社が開発したワクチンパスポート モバイルアプリの使用を承認した。

 COVID-19パンデミックの規模が明らかになると、ファイザーは
   ビオンテック
と提携してCOVID-19 mRNAワクチン候補の研究と開発を行った。
 多くの競合他社とは異なり、ファイザーは米国のワクチン開発プログラム「オペレーション・ワープ・スピード」から初期研究資金を受け取らず、代わりに自社資金約20億ドルを投資することを選択した。

 ファイザーのCEOアルバート・ブーラは、政府の介入を避けるためにオペレーション・ワープ・スピードからの資金提供を断ったと述べた。
 後に「誰かから資金を受け取るときは常に条件が付いてくる。彼らは我々がどのように進歩するのか、どのような動きをするのかを知りたいのだ。彼らは報告を求めている。ところで、私はファイザーを政治から遠ざけたかったのだ」と明かした。

 2020年5月、ファイザーはカナダのバイオテクノロジー企業
   アクイタス・セラピューティクス
が提供する脂質ナノ粒子技術を使用して、4つの異なるCOVID-19ワクチンのバリエーションのテストを開始した。
 ワクチンは5月初旬に米国で最初の被験者に注射された。

 2020年7月、ファイザーとビオンテックは、パートナーの4つのmRNAワクチン候補のうち2つがFDAからファストトラック指定を獲得したと発表した。
 同社は2020年7月の最後の週に3万人を対象に第II-III相テストを開始し、米国政府から1億回分のワクチンに対して19億5000万ドルが支払われる予定でした。
 2020年9月、ファイザーとビオンテックは、EUに最初の2億回分のワクチンを提供した。
 後日さらに1億回分を供給するオプションを持つ欧州委員会との協議を完了したと発表した。

 2020年11月9日、ファイザーは、43,500人を対象に試験したビオンテックのCOVID-19ワクチンが、症状のあるCOVID-19の予防に90%の効果があることが判明したと発表した。
 その後、有効性は1週間後に95%に更新された。

 ニューヨークタイムズのインタビューを受けた免疫学者の岩崎明子氏は、有効性の数字を「本当に驚異的な数字」と表現した。
 この発表により、ファイザーとビオンテックはCOVID-19の有効なワクチンを開発し、試験した最初の企業となった。
 その後の1ヶ月半で、各国の規制当局はファイザーのワクチンを緊急使用に承認した
 
 2021年2月、匿名の当局者を頼りに1年がかりで調査を行った後、ファイザーはCOVID-19ワクチン獲得交渉中に少なくとも2つのラテンアメリカ諸国に対して「高レベルのいじめ」を行ったと調査報道局(TBIJ)から告発された。
 その中には、支払いの担保として各国の
   国家資産を差し出すよう要求
するなどが含まれていた。
 TBIJによると、これらの交渉戦術の結果、ファイザーは1か国とのワクチン合意に達するのに数ヶ月も遅れた。
 また、アルゼンチンやブラジルを含む他の2か国との合意に完全に失敗したという。

 2021年11月2日、TBMJは
   ベンタビア・リサーチ・グループ
の内部告発者から情報を得て記事を掲載した。
 ベンタビアはファイザーに研究下請けとして雇われていた。

 ベンタビア・リサーチ・グループに勤務していた地域ディレクター(内部告発者)はBMJに対し、同社が
   データを改ざん
したうえ、患者の盲検化を解除し、十分な訓練を受けていないワクチン接種者を雇用し、ファイザーの重要な第3相試験で報告された有害事象のフォローアップが遅かったと語った。

 地域ディレクターのブルック・ジャクソンは、米国食品医薬品局(FDA)に苦情をメールで送った。
 ベンタビアは同日遅くに彼女を解雇した。
 欧州医薬品庁(EMA)は欧州議会への回答で、「特定された欠陥はコミナティの主要試験のデータの品質と完全性を損なうものではなく、ベネフィット・リスク評価やワクチンの安全性、有効性、品質に関する結論にも影響を及ぼさない」と述べた。

 Science-Based Medicineは、ベンタビアが監督したのはファイザーの試験に関与した153の臨床施設のうち3施設のみであり、「試験の約44,000人以上の被験者のうちのごく一部(内部告発者が解雇された時点で約1,000人)だった」と強調した。

 2022年10月10日、欧州議会のCOVID-19パンデミック特別委員会のセッションで、ファイザーの幹部
   ジャニーン・スモール氏
は、同社がCOVID-19ワクチンを一般向けに発売する前に
   SARS-CoV-2ウイルスの感染を減らす能力
について評価していなかったと証言した。

 オランダの欧州議会議員ロブ・ルース氏は、この告白を「スキャンダラス」と評した。
 アルバート・ブーラCEOも出席予定だったが、辞退した。
 一方、ルース氏の発言は「誤解を招く」と評されている。
 
 2021年11月、ファイザーはパクスロビドとして知られる新しいCOVID-19経口抗ウイルス治療薬を発売した。
 2022年1月、ファイザーのCEOアルバート・ブーラは、4回目の投与の治験結果は2022年3月まで保留中であることを確認した。
 彼は、同社がフランスの企業
   ノバセップ
と共同で抗COVID錠剤治療を開発するための協力関係を構築していると述べた。
 彼はまた、COVIDワクチンは子供にとって「安全で効果的」であると述べた。

 2022年5月、5日間のパクスロビド投与を終えた患者が
   「リバウンド」症状
を経験したという報告が浮上した。

 FDAはこれを受けて、同薬の臨床試験データの追加分析を実施し、推奨事項を変更しないことを決定したと発表した。
 ジョー・バイデン米大統領とアンソニー・ファウチ博士は、数か月後にこのリバウンド症候群を経験したと報告されているが、この薬から利益を得る可能性のある人々には引き続きこの薬を推奨し続けている。
 
 2020年9月、同社は
   CStone Pharmaceuticals
の株式9.9%を2 億ドル(15.5億香港ドル )で取得し、同社の抗PD-L1モノクローナル抗体CS1001の商品化に貢献した。

 2020年10月、同社は
   Arixa Pharmaceuticals
を買収した。
 2020年11月、ファイザーはリバース・モリス・トラスト構造を使用して、特許切れのブランド薬およびジェネリック医薬品事業である
   UpjohnをMylan
と合併し、ファイザー株主が57%を所有する
   Viatris
を設立した。

 2021年1月5日、ファイザーは新しいロゴを導入した。
 2021年4月、ファイザーは
   アンプリックス・ファーマシューティカルズ
とその抗真菌化合物フォスマノゲピックス(APX001)を買収した。
 8月、同社は
   トリリウム・セラピューティクス社
とその免疫腫瘍学ポートフォリオを23億ドルで買収すると発表した。

 2022年3月、同社は
   Arena Pharmaceuticals
を現金67億ドルで買収した。
 2022年6月、同社は
   ReViral Ltd
を最大5億2500万ドルで買収し、呼吸器合胞体ウイルス感染症と戦うために使用される実験薬へのアクセスを獲得した。

 2022年10月、同社は
   Biohaven Pharma
とそのカルシトニン遺伝子関連ペプチドプログラムを116億ドルで買収した。
 また、Global Blood Therapeuticsを54億ドルで買収し、ファイザーの希少疾患事業を強化した。

 2023年4月、ファイザーは世界本社をマンハッタンのミッドタウン42番街からハドソンヤードのスパイラルに移転した。
 同社は2023年12月に、がん治療用抗体薬物複合体の先駆者であるシージェン社を
   430億ドル
で買収した。

 (2020年以降の問題)
 2022年7月、英国の独占禁止当局は、てんかん発作の抑制を助ける薬を不当に高額で販売したとしてファイザーに6,300万ポンドの罰金を科した。
 競争・市場庁は、同社がてんかん薬エパヌチンのブランド名を消すことで抜け穴を利用し、その結果エパヌチンの価格は同社が慣れ親しんでいるのと同じ基準で規制されなくなり、その結果薬の価格が引き上げられたと述べた。
 ファイザーは4年間にわたってエパヌチンを標準価格の約780%から1,600%高い価格で請求していたという。
 
 2022年8月、モデルナは、 mRNA技術に関する特許を侵害したとしてファイザーとそのパートナーであるビオンテックを訴えると発表した。
 2024年5月、欧州特許庁は、ファイザーとビオンテックに対して主張された2つの特許のうちの1つであるモデルナのEP949特許の有効性を支持した。
  
 ファイザーは、ニュージャージー州ブリッジウォーター・タウンシップにある、毒性の高いEPAスーパーファンド対象地であるアメリカン・シアナミッドの敷地におけるワイエスの負債を引き継いだ。
 ファイザーはその後、将来の利益と公共利用のためにこの土地を浄化・開発しようと試みてきた。
 シエラクラブとエジソン湿地協会は、この地域は洪水の危険があり、汚染物質が浸出する可能性があると主張し、浄化計画に反対した。
 EPAは、安全性と費用対効果の観点からこの計画が最も合理的であると考えており、汚染された土壌をトラックで敷地外に運び出す代替案は、浄化作業員を危険にさらす可能性があると主張している。
 EPAの立場は、環境監視団体CRISISによって支持されている。

 2002年6月、グロトン工場で化学爆発が発生し、7人が負傷し、周辺地域の100軒以上の家屋が避難した。

 
 ファイザーは、研究開発、学術資金、イベントのスポンサーシップ、慈善事業、政治ロビー活動の促進など、さまざまな場面で公共部門および民間部門と連携している。
 
 COVID-19パンデミックの間、ファイザーはナショナルジオグラフィックの委託によるドキュメンタリーを含む、さまざまな形態のメディアを利用してCOVID-19ワクチンを宣伝した。
 ファイザーはナショナルジオグラフィック協会への寄付者でもある。

 ファイザーは、ビオンテックとともに2022年のアカデミー賞授賞式の主要スポンサーであった。
 ファイザーは全米報道財団への主要寄付者である。
 ファイザーはNPFの「Cancer Issues 2010」というプログラムを後援し、医薬品やワクチンの役割を含むさまざまな癌に関する「最新の研究を理解する」ためのジャーナリストのトレーニングを行った。
 マイクロRNA(miRNA)もリストアップされたトピックであった。

 ファイザーは、 COVID-19とCOVID-19ワクチンをめぐる世間の認識に影響を与えるメディアや教育資料を開発する「学者、公衆衛生の専門家、行動経済学者、クリエイティブな専門家の連合」である19 to Zeroを後援している。
 
 ファイザーは、政治ロビー活動を行っているさまざまな業界団体と提携しており、政府や規制当局に多額の直接寄付を行っている。
 ファイザーは世界中で数多くの公衆衛生および国際保健の取り組みに携わっており、カナダと米国のさまざまな専門分野の医療施設に資金を提供している。
 
 ファイザーは、2020年1月にブリティッシュコロンビア州保健サービス局(PHSA)を通じてジュリー・ベッティンガー氏による「ワクチン接種への躊躇:ワクチンが効いても誰も接種しなければ意味がない」と題したプレゼンテーションを後援した。
 2020年にファイザーはロナルド・マクドナルド・ハウス慈善団体に10万ドルから25万ドルの資金を提供し、「子供とその家族の健康と幸福を直接改善するためのリソースを提供する」ことを目指した。

 ファイザーは、米国、カナダ、そして世界中で多くの医療研究ネットワークや専門家協会と提携し、スポンサーを務めている。

  
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日米金利差の縮小でドル・円相場は140円の水準に戻る可能性

 TDセキュリティーズのマクロストラテジスト
   アレックス・ルー氏
は顧客向けリポートで  円強気派が活気づいていると指摘し、石破氏の過去の発言から、金融政策におけるタカ派として知られていると続けた。
 この日の総裁選の結果を受けて、日銀は今年12月に再び利上げを実施し、日米金利差の縮小でドル・円相場は140円の水準に戻る可能性があるとの当社の確信は強まったと述べ、当社の見解に対するリスクは、石破氏が有権者の信任を確保しようと総選挙を突如呼びかけることで、そうなれば日銀は年内いっぱい行動を見合わせるだろうと指摘した。
 
 
ひとこと
 安倍長期政権により各選挙区の候補者の選別が歪んでしまっており、推薦を得ようと媚びる劇場型の代議士が増えてしまった弊害があり、早急に総選挙を実施する必要があるのは当然だろう。
 官僚の人事も能力よりも忖度度に対して歪められており、国家の基軸が安倍政権により歪んでしまっている状況の改善を図るべきだろう。
  

posted by まねきねこ at 05:00| 愛知 | Comment(0) | イベント 出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ダニエル・バーナム(Daniel Burnham) ボザール運動の提唱者であり、米国の建築業界が生んだ最も成功した実力者 ボザール運動の提唱者

ダニエル・ハドソン・ バーナム
        (Daniel Hudson Burnham)
   1846年9月4日 - 1912年6月1日
 米国の建築家で都市計画家、ボザール運動の提唱者であり、「アメリカの建築業界が生んだ最も成功した実力者」であった。
 シカゴの建築家であり、1892年から1893年にかけて開催された、俗に「ホワイト・シティ」と呼ばれた
   世界コロンビアン博覧会
の工事監督に選ばれた。
 彼は、シカゴ計画、マニラ、バギオ、ワシントンD.C.のダウンタウンの計画など、多くの都市開発のマスタープランの作成で重要な役割を果たした。
 彼はまた、シカゴの著名な高層ビル、ニューヨーク市の三角形のフラットアイアンビル、 ワシントンD.C.のワシントン・ユニオン駅、ロンドンのセルフリッジ百貨店、サンフランシスコのマーチャンツ・エクスチェンジなど、いくつかの有名な建物を設計した。

 バーナムは超高層ビルや都市計画、ホワイトシティで最もよく知られている。
 なお、彼の総成果のほぼ3分の1、1470万平方フィート(137万平方メートル)はショッピング用の建物で構成されていた。
 
 バーナムはニューヨーク州ヘンダーソンで
   エリザベス・キース(ウィークス)
   エドウィン・アーノルド・バーナム
の息子として生まれた。
 彼はスウェーデンボルグ派(別名ニューチャーチ)の教えの中で育てられた。
 人間は他者への奉仕に努めるべきであるという強い信念を心に刻み込まれた。
 8歳のとき、バーナムはシカゴに移った。
 父親はそこで薬品卸売業を立ち上げ、成功した。

 バーナムは成績は良くなかったが、絵を描くのは得意だった。
 18歳のとき、ハーバード大学とイェール大学の入学試験に合格するために家庭教師に教えてもらうためにアメリカ東部に移った。
 しかし、ひどい試験不安症のため受験したものの両方とも不合格となった。
 1867年、21歳のとき、シカゴに戻り、ローリング・アンド・ジェニー建築事務所の
   ウィリアム・ルバロン・ジェニー
のもとで製図工の見習いになった。 
 建築は彼が探していた天職であるように思われ、両親に「街や国で最も偉大な建築家」になりたいと語ったと伝わる。

 ただ、若きバーナムには放浪癖が残っており、1869年に見習いを辞めて友人とネバダ州に行き、金採掘を試みたが失敗した。
 その後、ネバダ州議会議員に立候補したが落選した。
 破産したバーナムは再びシカゴに戻り、建築家のLGローリアンのもとで職を得た。
 1871年10月にシカゴ大火がシカゴを襲ったとき、建築家の仕事は尽きないかのようだった。
 しかし、バーナムは再び独立し、最初はガラス窓のセールスマン、次に薬剤師になった。
 最初の仕事は失敗し、2番目の仕事も辞めた。
 その後、バーナムは「同じことを長く続けると飽きてしまう家族の性質」について語った。
 
 26歳のとき、バーナムは
   カーター・ドレイク・アンド・ワイト
のシカゴ事務所に移り、そこで将来のビジネスパートナーとなる
   ジョン・ウェルボーン・ルート
と出会った。
 ルートは21歳でバーナムより4歳年下だったが友人になり、1873年に一緒に建築事務所を開設した。
 以前の事業とは異なり、バーナムはこの事業にこだわり続けた。

 バーナムとルートはその後、非常に成功した会社となった。
 最初の大きな注文は、シカゴの巨大なユニオン・ストック・ヤードの管理者
   ジョン・B・シャーマン
から設計依頼されたものであり、この工場はシカゴの人口の5分の1に直接的または間接的に生計を支えていた。
 シャーマンは、シカゴの他の商人の大邸宅の間に、プレーリー・アベニューと21丁目の交差点に邸宅を建てるよう会社に依頼した。
 ルートが最初の設計を行い、バーナムがそれを改良して建設を監督した。

 建設現場でバーナムはシャーマンの娘マーガレットと出会い、短い交際の後、1876年に結婚した。
 シャーマンはバーナムとルートに他のプロジェクトも依頼し、その中にはシカゴのランドマークとなったストックヤードへの入り口であるストーンゲートも含まれている。

 1881 年、この会社は当時シカゴで最も高いビルであったモントーク ビルの建設を委託された。
 シカゴの地下 125 フィート (38 m) にある、水で飽和した砂質の土壌と岩盤の問題を解決するために、ルートは「ハードパン」と呼ばれる粘土層まで掘り下げ、その上に 2 フィート (0.61 m) の厚さのコンクリート パッドを敷き、その上に直角に置かれた鋼鉄のレールで格子状の「グリル」を形成し、ポートランド セメントで埋めるという計画を思いついた。
 この「フローティング ファンデーション」は、事実上、建物を建設できる人工的に作られた岩盤である。
 完成した建物は既存の建物に比べて非常に高く、簡単に説明できないため、「超高層ビル」という名前が付けられた。
 建築家で建築評論家のトーマス タルマッジは、この建物について「ゴシック様式の大聖堂に対するシャルトルのように、モントーク ブロックは高層商業ビルに匹敵する」と述べた。

 バーナムとルートは、シカゴのメイソン・テンプル・ビルなど、アメリカ初の超高層ビルの建設を続けた。
 21階建て、高さ302フィートのこの建物は、当時最も高い建物とされていたものの、1939年に取り壊された。

 二人のパートナーの才能は互いに補い合っており、二人とも芸術家であり、才能ある建築家だった。
 ルートはエレガントなデザインを考案する才能があり、必要な構造の全体像をほぼ瞬時に見抜くことができた。
 一方、バーナムは顧客を招き入れ、ルートのデザインの建設を監督することに長けていた。

 二人は互いが会社にとって持つ価値を認めていた。
 バーナムは従業員の幸福を確保するための措置も講じた。
 オフィスにジムを設置し、フェンシングのレッスンを行い、昼休みに従業員にハンドボールをさせていた。
 ピアニスト兼オルガン奏者のルートは、レンタルピアノでオフィスでピアノリサイタルを開いた。

 1888年に彼らのオフィスに加わった
   ポール・スターレット
は、「オフィスは仕事の忙しさでいっぱいだったが、私が働いた他のオフィスと比べて、この場所の雰囲気は素晴らしく自由で気楽で人間味があった」と語っている。

 会社は大成功を収めたが、いくつかの注目すべき挫折も経験した。
 彼らの設計の一つである、事務所のあったグラニス ブロックは 1885 年に火事で焼失した。
 別の設計であるザ ルーカリーの最上階への移転を余儀なくされた。
 そして 1888 年には、彼らが設計したミズーリ州カンザス シティのホテルが建設中に倒壊し、1 人が死亡、数人が負傷した。
 検死官の審問で、建物の設計が批判された。

 この悪評はバーナムを動揺させ、意気消沈させた。
 その後、さらなる挫折として、バーナムとルートは巨大なオーディトリアム ビルの設計も受注できず、代わりにライバルの
   アドラー & サリバン
が受注した。
 1891年1月15日、会社が世界コロンビアン博覧会の設計会議に熱心に取り組んでいる最中に、ルートは3日間の肺炎の末に亡くなった。
 ルートはまだ41歳だったため、彼の死はバーナムとシカゴ社会の両方に衝撃を与えた。
 ルートの死後、シカゴ派の建築の一部として近代建築の建設で大きな成功を収めていたバーナム・アンド・ルートの会社は、DHバーナム・アンド・カンパニーに改名された。
 その後も会社は成功を続け、バーナムは都市設計に手を広げていった。 

 バーナムとルートは、シカゴの南湖岸にある当時は荒廃していたジャクソン公園で行われた世界コロンビアン博覧会の設計と建設を監督する責任を引き受けた。
 当時(1893年)最大の世界博覧会は、クリストファー・コロンブスの有名な航海の400周年を祝うものだった。
 ルートの突然の予期せぬ死後、バーナム、フレデリック・ロー・オルムステッド、チャールズ・マッキム、リチャード・M・ハント、ジョージ・B・ポスト、ヘンリー・ヴァン・ブラントを含む著名なアメリカの建築家と造園家のチームが、ルートのモダンでカラフルなスタイルをクラシカル・リバイバル・スタイルに根本的に変えてしまった。

 ルイス・サリバンのパビリオンだけが非クラシカル・スタイルで設計された。
 プロジェクトの成功を確実にするため、バーナムは建設を監督する能力を高めるために、急成長するフェアグラウンドにある「小屋」と呼ばれる木造の本部に自分の住居を移した。
 博覧会の建設は、世界的な金融恐慌や、予定通りに開場するための極めて厳しいスケジュールなど、大きな財政的、物流的な障害に直面した。

 国内初の総合的な計画文書の例とされるこの見本市会場は、壮大な大通り、古典的な建物のファサード、緑豊かな庭園を特徴とした。
 しばしば「白い都市」と呼ばれ、記念碑的でありながら合理的なボザール様式の新古典主義建築を普及させた。
 この見本市の人気により、米国中の建築家は、同様の要素を設計に取り入れるようクライアントから要求が殺到したと言われている。

 博覧会の設計と建設の管理は、さまざまな団体、特に博覧会の事務局長を務めた
   ジョージ・R・デイビス
が率いる国家委員会の間で争点となった。
 この委員会は、博覧会の建設に必要な資金を集めた
   ライマン・ゲージ
が率いる市内の有力商人で構成される博覧会会社と、工事部長のバーナムによって率いられていた。
 さらに、委員会の数が多かったため、開会日の締め切りに間に合うように建設を進めるのが困難だった。
 博覧会の主要建物の1つが破壊された大事故の後、バーナムは建設をより厳しく管理するようになった。
 博覧会のすべての部門長に「私は、世界コロンビアン博覧会の敷地内で進行中の工事を個人的に管理することになった ...今後、追って通知があるまで、あなた方は私だけに報告し、私から命令を受けることになる」というメモを配布した。

 フェアが開幕した後、フェア会場の設計を担当したオルムステッドはバーナムについて「我々すべての主人がこの成果を成し遂げた勤勉さ、技術、機転は、いくら高く評価してもしすぎることはない」と述べた。
 バーナム自身は、ルートがフェアの設計に大きく関与していたという説を否定した。
 フェアの成功と美しさによってバーナムの名声は大幅に高まりました。ハーバード大学とイェール大学は、若い頃に入学試験に失敗したバーナムに名誉修士号を授与した。
 ルートが生きている間は、彼が建築芸術家であり、バーナムが会社のビジネス面を運営していたというのが一般的な認識であった。
 ルートの死はバーナムにとって個人的には壊滅的であった。
 なお、ルートが生きていればできなかったかもしれない方法でバーナムが建築家として成長する機会を与えた。

 1901年、バーナムはニューヨーク市のフラットアイアンビルを設計した。こ
 れは、内部の鉄骨構造を利用して構造的強度を確保した先駆的な構造で、外部の石造りの壁は耐力壁ではなかった。
 これにより、建物は22階建てになった。
 この設計は、古典的な柱のように、基礎、柱頭、柱頭に分かれた、ボザール様式の垂直なルネッサンス 宮殿であった。

 1904年、バーナムはフィリピン総督ウィリアム・ハワード・タフトから依頼を受け、マニラを再設計し、バギオに夏の首都を建設するという計画を立案する機会を得た。
 フィリピンは米国の植民地であったため、バーナムは地元の承認を得ることなく自分の構想を追求することができた。
 この計画は全体で6か月を要し、フィリピンでは6週間しか過ごさなかった。
 滞在中、バーナムは計画に関してフィリピンの地元住民と交流することはなかった。

 計画がフィリピンの商業警察長官
   ウィリアム・キャメロン・フォーブス
に承認された後、バーナムは主任建築家ウィリアム・E・パーソンズを選ぶことを許可された。
 その後、バーナムは本土から計画を監視するために出発した。

 バーナムの計画では、衛生状態の改善、統一された美観 (ミッション・リバイバル)、政府権威の視覚的リマインダーが強調されていた。
 マニラでは、首都の建物から広い大通りが放射状に伸び、バギオでは町の上の崖から政府の建物がそびえ立っていた。
 バギオプロジェクトのための土地は合計14,000エーカー(5,700ヘクタール)で、フィリピン最高裁判所の承認を得て地元のイゴロット族から接収された。
 マニラでは、独立戦争で荒廃した地区はそのまま残され、本土の要人を訪問するために高級ホテル、カジノ、ボートクラブが設計された。

 1906年に着手され1909年に出版されたシカゴ計画は、バーナムと共著者のエドワード・H・ベネットが市の将来計画を示した。
 これはアメリカの都市の制御された成長に関する最初の総合計画であり、美しい都市運動から生まれたものであった。
 計画には湖岸と川に関する野心的な提案が含まれていた。
 また、すべての市民が公園まで歩いて行ける距離に住むべきだと主張した。
 シカゴ商業クラブの後援を受けたうえ、バーナムは自身の大義を推進するため、自らのサービスを寄付した。

 バーナムは、世界博覧会の南湖岸の計画と概念設計を基にして、シカゴを「大草原のパリ」と構想した。
 フランス風の公共事業の建設、噴水、中央のドーム型市庁舎から放射状に広がる大通りがシカゴの新しい背景となった。
 計画は一部しか実行されなかったが、都市デザインの基準を設定し、将来の都市成長を制御する必要性を予期し、バーナムの死後もシカゴの発展に影響を与え続けた。

 バーナムの都市計画プロジェクトはシカゴに留まらなかった。
 バーナムは以前にもクリーブランド(1903年のグループ計画)、サンフランシスコ(1905年)、マニラ(1905年)、フィリピンのバギオなどの都市の計画に貢献しており、その詳細は1909年のシカゴ計画書に掲載されている。

 サンフランシスコの再設計に関する彼の計画は1905年9月に監督委員会に提出された。
 しかし、1906年の地震と火災後の都市再建が急がれ、バーナムの計画は最終的に無視された。
 フィリピンでは、第二次世界大戦の勃発と戦後の首都移転により、バーナムのマニラ計画は実現しなかった。

 ワシントン D.C.では、バーナムは 1901 年のマクミラン計画の策定に大きく貢献し、ナショナル モールの全体設計の完成につながった。
 ミシガン州の上院議員ジェームズ マクミランが設立した上院公園委員会、またはマクミラン委員会には、バーナムとコロンビア万国博覧会の同僚 3 名、建築家チャールズ フォレン マッキム、造園家フレデリック ロー オルムステッド ジュニア、彫刻家オーガスタス サン ゴーデンが招集された。
 ピエール ランファンの当初の都市構想をはるかに超えるこの計画では、モールをワシントン記念塔の先まで拡張し、新しいリンカーン記念館と、最終的にジェファーソン記念館として実現した「パンテオン」を建設することが盛り込まれた。
 この計画には、沼地やポトマック川沿いの大規模な干拓と、既存の鉄道駅の移転が含まれ、バーナムの設計によるワシントン ユニオン駅が移転された。
 マクミラン委員会での活動の結果、バーナムは1910年に米国美術委員会の委員および初代委員長に任命され、マクミラン計画のビジョンの実現に貢献した。
 バーナムは1912年に亡くなるまで委員会に所属した。

 万国博覧会後のキャリアにおいて、バーナムはボザール運動と万国博覧会を機に始まった新古典主義建築の復興を国内で最も推進する一人となった。
 バーナムの作品の多くはギリシャとローマの古典様式に基づいていた。
 シカゴ派の代表的な建築家の一人でありながら、長い間バーナムとの関係がうまくいかなかったルイス・サリバンは、1924年の自伝で、バーナムが独自の表現を欠き古典主義に依存していると批判した。
 サリバンはさらに「万国博覧会によってもたらされた損害は、開催日から半世紀、あるいはそれ以上続くだろう」と主張した。
 この感情には苦々しい思いが込められていた。
 20世紀初頭のアメリカの企業はサリバンの建築様式よりもバーナムの建築様式を強く好んでいたからである。

 バーナムは「小さな計画は立てるな。小さな計画には人々の血を沸き立たせる魔法はなく、おそらく実現もしないだろう」と言ったことで有名である。
 このスローガンはバーナムの精神の真髄を捉えたものとされている。
 影響力の強い人物であったバーナムは、20世紀初頭のアメリカで最も優れた建築家とみなされていた。
 彼は生涯でアメリカ建築家協会の会長を含む多くの役職に就いた。
 ジョセフ・W・マッカーシーなど、他の著名な建築家も彼の指導の下でキャリアをスタートさせた。
 彼の子孫の何人かは、息子のダニエル・バーナム・ジュニア、孫のバーナム・ケリー、マーガレット・バーナム・ゲデスなど、アメリカで影響力のある建築家や都市計画者として働いている。
 
 バーナムは1876年1月20日、最初の主要顧客であるジョン・B・シャーマンの娘、マーガレット・シャーマンと結婚した。
 交際中、バーナムの兄が小切手を偽造したと告発されるというスキャンダルが起きた。
 バーナムはすぐにジョン・シャーマンのもとへ行き、名誉の問題として婚約を解消することを申し出た。
 しかし、シャーマンは「どの家庭にも厄介者はいる」と言って申し出を断った。
 ただ、シャーマンは、酒を飲みすぎると考えた義理の息子を警戒し続けたという。

 バーナムとマーガレットは生涯結婚生活を送り、二人の娘と三人の息子の計5人の子供をもうけた。
 その中には1886年2月に生まれたダニエル・バーナム・ジュニアもおり、父親のように建築家、都市計画家となった。
 彼は1917年まで父親の会社で働き、1933年から1934年にかけて開催された「進歩の世紀」として知られるシカゴ万国博覧会では公共事業部長を務めた。
 バーナム一家は1886年までシカゴに住んでいたが、その年イリノイ州エバンストン郊外のミシガン湖畔にある16部屋の農家と土地を購入した。 
 バーナムはシカゴが人口増加とともに不潔で危険になっていると感じ、警戒するようになった。

 バーナムは事前にこの引っ越しについて母親に告げていなかったが、「子供たちをシカゴの路上に放っておくのが耐えられなくなったので引っ越した」と説明した。
 バーナムがフェアの建設をよりよく監督するためにジャクソンパークの「掘っ立て小屋」に引っ越したとき、妻のマーガレットと子供たちはエバンストンに残った。
 
 バーナムは初期の環境保護主義者で、「我々の時代まで、天然資源の使用に関する厳格な節約は行われてこなかったが、我々が子供たちの住む環境を損なうほど不道徳でない限り、今後はそうしなければならない」と書いている。
 しかし、彼はまた、自動車が環境にとってプラスの要因であり、馬による輸送の終焉が「文明への真の一歩」をもたらすと信じて いた。
  
 バーナムは50代になると健康状態が悪化し始めた。大腸炎を発症し、1909年には糖尿病と診断された。
 1912年4月14日、バーナムと妻はホワイト・スター・ラインのオリンピック号に乗船し、ドイツのハイデルベルクを観光するためにヨーロッパへ向かっていた。
 ヨーロッパからアメリカへ向かう反対方向のタイタニック号に乗っていた友人のフランク・ミレットに電報を送ろうとしたところ、船が事故で沈没し、ミレットは亡くなったことが分かった。
 バーナムはわずか47日後に、糖尿病とハイデルベルクで食べた食事による食中毒から生じた大腸炎で亡くなった。
 彼が亡くなった当時、DHバーナム・アンド・カンパニーは世界最大の建築会社だった。
  
   
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アダムズNY市長を外国人から違法な献金で起訴、市長は職務継続を表明

 ニューヨークのアダムズ市長(64)が、連邦当局の捜査を経て賄賂・汚職の罪で起訴された。
 この起訴は25日夜すでに広く報じられていたが、26日に正式に発表された。
 訴状によれば、アダムズ被告は2021年の
   ニューヨーク市長選
で外国人から違法な献金などを受け取ったとされる。

 連邦検察当局は、アダムズ被告がニューヨーク市のブルックリン区長を務めていた約10年前から
   裕福な外国人実業家
や、少なくとも1人のトルコ政府高官から、豪華な外国旅行といった不適切な利益を受け取っていたとみている。
  
 25日に起訴のニュースが流れた後、アダムズ被告は26日の記者会見で、市長職を継続するつもりであり、起訴に対しては身の潔白を証明し法廷で闘うと表明した。
 
 同被告の弁護士は、独自調査の結果、
   違法行為の証拠
は見つからなかったと述べている。

   
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2024年09月28日

サンタンデール銀行(Banco Santander) スペインの多国籍金融サービス会社 運用資産 4,603億ユーロ(2023年)

サンタンデール銀行(Banco Santander) 
 スペインのマドリードとサンタンデールに本社を置くスペインの多国籍金融サービス会社
 サンタンデールは世界で19番目に大きい銀行機関として、ほとんどの世界の金融センターで存在感を維持している。
 ヨーロッパでの銀行業務で知られ、南北アメリカ全土、最近ではアジア大陸にも業務を拡大している。
 金融安定理事会によってシステム上重要な銀行と見なされている。
  
 収益 574億2,300万ユーロ(2023年)
 純利益 110.8億ユーロ(2023年)
 運用資産 4,603億ユーロ(2023年)
 総資産 1兆7,970億ユーロ(2023年)
 総資本 1,042億ユーロ(2023年)
 従業員数 212,764 (2023) 
 
 アビー・ナショナルなど多くの子会社がサンタンデールの名でブランド名を変更した。
 同社はユーロ・ストックス50 株価指数の構成銘柄である。
 2023年6月、サンタンデールは世界最大の上場企業のフォーブス・グローバル2000リストで49位にランクされた。
 サンタンデールはスペイン最大の銀行である。

 サンタンデール銀行は1857年にサンタンデール銀行として設立された。
 1991年にサンタンデール銀行とイスパノアメリカーノ銀行が合併してできた
   サンタンデール・セントラル・イスパノ銀行(BCH)
と1999年に合併した。
 サンタンデール・セントラル・イスパノ銀行(BSCH)として知られる合併後の銀行は、
   「対等合併」
として計画され、既存の2社の最高経営責任者が合併後の銀行の経営権を共有することとなった。
 合併後まもなく、BCHの元幹部らは、後任のサンタンデール銀行会長
   エミリオ・ボティン・サンス・デ・サウトゥオラ・イ・ガルシア・デ・ロス・リオス
が自身の政策を押し通そうとしていると非難し、法的措置を取ると脅した。

 この合併後の意見の相違は、BCHの幹部である
   ホセ・アムサテギ
   アンヘル・コルコステギ
が退職金を受け取り、退職して経営権を
   ボティン
に譲渡することで合意したことで解決した。
 しかし、この合意で株主の負担は1億8,300万ユーロに上った。
 その後、 巨額の退職金は否定的な報道を生み出し、ボティンは最終的に「資金の横領」と「無責任な経営」の刑事告発で裁判にかけられた。
 しかし、2005年4月、裁判所はボティンをすべての容疑から無罪とした。
 2人の元幹部に支払われた1億6,400万ユーロの退職金は「銀行に提供したサービスに対する報酬として支払われた」合法であると判断された。
 また同年、スペイン検察庁の汚職防止部門は、ボティンが
   インサイダー取引
で告発されていた別の事件で、ボティンをすべての容疑から無罪とした
 2007年に、銀行は正式に名称をバンコ・サンタンデールSAに戻した。
  
 1996 年、サンタンデール銀行は
   グループ フィナンシエロ インベルメキシコ
を買収した。
 2000年、サンタンデール・セントラル・イスパノ銀行はメキシコのグループ・フィナンシエロ・セルフィンを買収した。

 2004年7月26日、サンタンデール中央イスパノ銀行は
   アビー・ナショナルplc
の買収を発表した。
 アビーとサンタンデールの臨時株主総会での株主の承認(出席者の大半の声高な反対にもかかわらず、95パーセントが賛成票を投じた)を受けて、買収は裁判所によって正式に承認された。
 アビーは2004年11月12日にサンタンデール・グループの一員となった。

 2006年6月、バンコ・サンタンデール・セントラル・イスパノは
   ソブリン銀行
のほぼ20%を購入し、2008年半ばから1年間にわたり同銀行を買収するオプションを取得した。
 当時の市場価値は1株あたり約40米ドルであった。

 2007年5月、サンタンデール・セントラル・イスパノ銀行は
   ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド
   フォルティス
と共同で、
   ABNアムロ
に買収提案を行うと発表した。
 BSCHの買収提案におけるシェアは28%となり、買収提案は新株発行による増資で賄われることとなった。
 その後、2007年10月、コンソーシアムは
   バークレイズ
を上回り、ABNアムロを買収した。

 この取引の一環として、サンタンデール・グループは、ABNアムロのブラジルの子会社
   バンコ・レアル
とイタリアの子会社
   バンカ・アントンヴェネタ
を買収した。

 2007年8月13日、サンタンデール・セントラル・イスパノ銀行は、法的な名称をバンコ・サンタンデールに変更した。
 同年11月、同社は、子会社の
   インターバンカ
を除き、バンカ・アントンヴェネタを
   バンカ・モンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ
に売却した。

 2008年3月、サンタンデール銀行はインターバンカを
   GEコマーシャル・ファイナンス
に売却し、その代わりにドイツ、フィンランド、オーストリアにおけるGEマネー事業と、英国におけるGEのカードおよび自動車金融事業を獲得し、サンタンデール・コンシューマー・ファイナンスと統合した。

 2008年7月、同グループは英国の銀行
   アライアンス・アンド・レスター(Alliance & Leicester)
を買収する意向を発表した。
 同銀行は240億ポンドの預金を保有し、254の支店を有していた。

 サンタンデールはまた、2008年9月に
   ブラッドフォード・アンド・ビングリー(Bradford & Bingley)
の貯蓄事業を買収した。
 同銀行は220億ポンドの預金を保有し、260万人の顧客を抱え、197の支店と140の代理店を有していた。
 アライアンス・アンド・レスターの買収は、B&Bの株式がロンドン証券取引所から上場廃止された2008年10月に完了した。

 2010年末までに、両銀行はサンタンデールUKのブランドでアビー・ナショナルと合併した。[
 2008年10月、同グループは保有していなかった
   ソブリン・バンコープ
の75.65%を約19億米ドル(14億ユーロ)で買収すると発表した。
 2008年の金融危機の影響から、ソブリンの株価は大幅に下落し、2006年であれば1株40ドルだった株価は、サンタンデール銀行が支払う株価は3ドル未満にまで落ち込んだ。
 ソブリンの買収により、サンタンデールは米国本土で初の個人向け銀行を設立した。

 サンタンデールは2013年10月、世界的なブランド認知度を高めるため銀行名を変更した。
 2008年12月14日
   バーナード・マドフ
のポンジースキームの崩壊により、サンタンデール銀行は23億3000万ユーロの損失を被る可能性があることが明らかになった。

 2009年11月10日、HSBCファイナンス・コーポレーションは、傘下の自動車金融会社が
   サンタンデール・コンシューマーUSA社(SC USA)
とHSBCの米国自動車ローン・サービス事業、10億ドルの自動車ローン債権を9億400万ドルの現金で売却した。
 また、清算された米国自動車ローン・ポートフォリオの残りについてローン・サービス契約を締結することで合意に達したと発表した。
 この取引は2010年第1四半期に完了した。

 2010年、サンタンデール銀行は中国に進出し、貿易金融サービスに注力し
   中国建設銀行
との合弁会社を設立した。
 この合弁会社は2011年に35億元(5億3000万米ドル)の初期資金で設立された。

 2010年9月、サンタンデールは
   アライド・アイリッシュ・バンクス
からザホドニWBK銀行を買収した。
 2012年2月28日、サンタンデールは
   KBC銀行
と、KBCのポーランド子会社である
   クレディト銀行
を買収することで合意したと発表した。

 サンタンデールはザホドニWBK銀行とクレディト銀行を合併し、ポーランドで3番目に大きな銀行を創設した。
 銀行価値は約50億ユーロ(67億米ドル)、市場シェアは預金で9.6%、融資で8.0%、支店数(899)で12.9%、個人顧客は350万人以上である。
 合併の結果、サンタンデールは合併後の銀行の76.5%を保有し、KBCは約16.4%を保有することになった。
 その他の株主は合併後の銀行の株式の約7.1%を保有した。

 サンタンデールは、KBCの合併後の銀行の株式をさらに購入し、KBCの保有株を10%未満に減らす意向を示した。
 KBCは残りの株式を売却する意向を確認した。
 KBCは保有株を売却し、サンタンデールは銀行の75%を所有し、残りは浮動株となっている。

 2012年12月、サンタンデール銀行は
   バネスト銀行
   バンコBANIF銀行
を吸収合併し、まだ保有していないバネスト銀行の残り10%を購入すると発表した。

 2013年時点で、サンタンデールの事業の主力であるリテールバンキングは、グループの利益の74%を生み出している。
  
 2010年6月10日、サンタンデールグループはブラジルの
   カンピナス
に約2億7000万ドル(2億ユーロ)を投資し、研究とデータ処理のための技術センターと、北米、中米、南米の事業を支援するデータセンターを建設すると発表した。

 新センターは「カンピナスのハイテククラスター開発会社」内に100万平方メートルの敷地に設立される予定だった。
 建設は2011年1月に始まり、2013年にはフル稼働が見込まれ、直接的・間接的に8000人以上の雇用を生み出すと予想されていた。

 2013年、世界的な成長株投資会社
   ジェネラル・アトランティック
はウォーバーグ・ピンカスLLCと共同でサンタンデール・アセット・マネジメントの株式の50%を取得した。

 2013年10月、サンタンデールはスペイン最大の消費者金融会社
   Financiera El Corte Inglés
の51%を約1億4000万ユーロで買収した。

 サンタンデールは2013年にHSBCの
   上海銀行
の株式4億7000万ユーロを取得し、アジア市場への事業再編を行った。

 2014年6月、サンタンデールは
   GEキャピタル
のスウェーデン、ノルウェー、デンマークにおける消費者金融会社であるGEマネーバンクを7億ユーロ(9億5000万米ドル)で買収した。
 2014年9月、サンタンデールが資産運用部門を
   ウニクレディト
のものと合併し、資産3500億ユーロの欧州企業を設立する交渉中であることが発表された。

 2014年11月、サンタンデール銀行は
   モニティス
の株式5.1%を3300万ポンドで取得した。
 2017年6月7日、サンタンデール銀行は象徴的な価格1ユーロで
   スペイン人民銀行
を買収した。 
 2018年、同銀行はラテンアメリカ市場、特にブラジルとメキシコでの存在感を高めた。
 これらの国の超富裕層をターゲットに3年間の事業拡大を計画していると発表した。
 2019年7月13日と14日、バンコ・ポピュラーネットワーク全体の統合が完了した。
 これは、商業的な観点からポピュラーブランドの完全な終焉を意味した。

 2020年3月、サンタンデールグループは
   ラ・リーガ
と共同で、 COVID-19パンデミックに対応するための資金集めを目的とした初の世界的なチャリティーコンサートイベント、ラ・リーガサンタンデールフェストを発表した。

 2021年、同銀行はヨーロッパ最大の銀行の一つに数えられた。
 ダッジ・アンド・コックスは、2022年6月13日に行われた買収により、サンタンデール銀行の2番目の株主となった。
 この米国のファンドは、同銀行の株式の3.038%を保有している。
 購入時点では、1株当たり2.64ユーロの価値があったため、この株式の価値は13億6400万ユーロであった。

 2023年の収益上位の市場は、ブラジル(21.6%)、スペイン(17.4%)、米国(12.3%)、英国(11.2%)、メキシコ(10.2%)、ポーランド(6.3%)、チリ(3.9%)、ポルトガル(3.6%)であった。

 2024年2月、サンタンデール銀行は約15億ユーロ(16億ドル)の自社株買いを開始し、配当性向を50%に引き上げた。
  
 サンタンデールとラ・リーガは2016-17シーズンからタイトルスポンサー契約を結び、商業的にはラ・リーガ・サンタンデールとして知られるスペインサッカーリーグを形成した。
 サンタンデールは2018-19シーズンから2020-21シーズンまで2年間、UEFAチャンピオンズリーグのスポンサーを務めた。

 サンタンデールは2008年から南米市場向けに南米の主要クラブ大会コパ・リベルタドーレスのスポンサーも務めている。 
 F1では、2007年から2017年まで、サンタンデールはフェラーリとマクラーレンチームの企業スポンサーを務めていた。
 2022年から、サンタンデールはフェラーリのプレミアムスポンサーとしてF1に復帰した。
   
   
posted by まねきねこ at 16:20| 愛知 ☁| Comment(0) | よもやまばなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日銀政策正常化への政府の抵抗に関する不透明感が取り除かれる

   ユージニア・ビクトリノ氏
は顧客向けリポートで、日銀政策正常化への政府の抵抗に関する不透明感が取り除かれることで、円は再び上昇する可能性があると指摘した。
 また、全体として、日銀の政策が再び支配的な材料になりつつある。この日の政治的不確実性が今後24時間を超えて市場に影響を及ぼす可能性は低かった。
  
   
ひとこと
 総選挙を早急に実施し、劇場型政治家などマスコミ受けしやすいだけの能力が低い、欧米国際資本の意のままに動いている与野党政治家を排除すべきだろう。

   
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日銀の政策正常化がさらに進むとの期待

 クレディ・アグリコルCIBのストラテジスト
   バレンティン・マリノフ氏
は顧客向けリポートで「新自由主義的な石破氏」の予想外の勝利は、日銀の政策正常化がさらに進むとの期待が高まる可能性があるため、円強気派を勢いづかせる可能性があると指摘した。
 次の行動は早ければ10月にもあり得ると続けた。

 さらに、過去10年の日本経済史を定義づけてきた「アベノミクス」の積極財政から逸脱する可能性は、円キャリー取引に一定の重要な影響を及ぼす可能性があると語った。
 特に、債務削減の取り組みや企業再編の波が起これば、長期的に円へのレパトリエーションが誘発され、円キャリー取引に打撃となり得ると述べた。
  
 
ひとこと
 「アベノミクス」の積極財政は表向きは中小企業対策だが、裏には円安低金利で国際資本が非有する日本企業の株式が増え続け、安価な資金を利用した商品市場への資金流入で資源や穀物等が大きく値を上げさせたことで、莫大な利益を確保させてきた。
 異次元の金融政策という移譲な思考からの離脱でやっとまともな金融政策に戻るということになる。
   

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自民総裁選での石破氏勝利で日銀利上げ観測が再び耳目を集めるとの見方

 自民党が27日の総裁選挙で
   石破茂元幹事長
を新総裁に選出したことを受けて、円は急伸した。
 日本の国債先物は下落、日経平均先物も値下がりした。

 市場は高市早苗経済安全保障担当相の勝利を織り込んでいた。
 欧米国際資本の力最優先とも言える政策を展開しようとする発言が出ており、米国の軍産複合体制に過度に傾斜した思考が時々出て米国経済の基幹への資金提供を続けてきた安倍政権やそれ以前の小泉政権由来とも言える政策的な流れを踏襲しているような高市氏は今週、日本銀行の利上げを公にけん制しており、異次元の金融政策という愚かな金融政策で日本国民の保有してきた資産が円安に伴う輸入物価の上昇でモノの質や量の低下と、物流コストの上昇で大きく下落してしまった現状を追認する姿勢が見られ、日本国民の資産をすり減らしてきた円の下落と国際資本の日本企業への支配力を高める動きとも言える日経平均株価の上昇につながっていた。
 
 こうした流れの転換が石破茂元幹事長には新自民党総裁として期待したい。
 ただ、欧米国際資本の意のままに動いてきたマスコミからの攻撃は凄まじくなる可能性もあり注意が必要だろう。

   
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