ジェームズ・ブルース(James Bruce)
1811年7月20日 - 1863年11月20日
スコットランド系の貴族でイギリスの植民地行政官、外交官で、第8代エルギン伯爵および第12代キンカーディン伯爵
1840年に下院議員となったが、兄、父が相次いで死去したため、二男の彼が伯爵位を継ぐことになり、下院の議席を失った。
1842年にジャマイカ総督、1847年にカナダ総督に就任した。
英系住民と仏系住民の暴力的対立を調停し、1848年には自治政府をたちあげた。
アロ−戦争(1856-60年)でも遠征軍司令官として大きな役割を果たした。
1860年10月24日、清軍を破って、北京に入城し、北京条約に調印した。
なお、エルギン伯には日本との通商条約を締結する役目が与えられていた。
1858年7月30日に上海を4隻の艦隊で出発して8月3日(安政5年6月24日)に長崎に到着した。
その後、8月12日(7月4日)には品川沖に停泊した。
およそ1ヶ月前にペリー艦隊の訪日で、日米修好通商条約が調印されていたこともあり、交渉は比較的スムーズに進んだ。
イギリスとの間で8月26日(7月18日)に条約が調印された。
このとき、ビクトリア女王の名で、艦隊の1隻であったエンペラー号を幕府に寄贈している。
1861年、インド総督に任命されたが、着任の翌年、心筋梗塞で同地で没した。
なお、当時の人口は、イギリスが1850年に1800万人、アメリカ合衆国が1833年に約1,416万人、清が約4億人、日本が1834年に約2,760万人であった。