中国軍で大規模な粛清が進行しているとの情報が市場に流れ出ている。
核ミサイルなどを保有する
ロケット軍の司令官
らが解任されたほか、消息不明や自殺とみられる不審死のケースも続出しており、
不穏な政治情勢の下
で習近平国家主席(中央軍事委員会主席)の行動にも異変が見られる事態となっている。
ロイター通信などによると、中国国防省報道官は昨年8月31日の記者会見で、ロケット軍司令官と政治委員が更迭され、魏鳳和前国防相(初代ロケット軍司令官)の動静が全く分からないことについて問われ、 「事件はすべて調べ、腐敗はすべて罰する」と答えていた。
この回答の言葉からも「反腐敗」絡みであることを事実上認めた。
中国軍では7月31日、ロケット軍の
李玉超司令官
徐忠波政治委員
が解任されたことが公式報道で判明した。
ロケット軍は陸海空軍と同格の大部隊で、その両首脳が同時に交代するのは極めて異例の事態だった。
ロケット軍については、香港メディアなどで、司令官らが
軍内の共産党規律検査委員会
に調べられていると報じられていた。
後任の王厚斌司令官は海軍出身で徐西盛政治委員は空軍出身だ。
ロケット軍司令官が他の軍種から起用されるのは初めてとなり、クーデターを企てていた可能性すら考えられる。
また、副司令官や副政治委員の更迭説もあり、同軍の首脳陣全体が粛清された可能性が高そうだ。
粛清の規模から見て
単なる不正や不祥事
が原因とは考えにくいのも明らかだ。
中国内部の腐敗は金の力などでこれまでは表には出なかったが、習近平の権力の集中による
独裁体制の確立
から競合する政敵の排除などが手段を選ばずに繰り返し行われている中での出来事だ。
OBも含むロケット軍全体と習主席の間に何らかの政治的対立が生れている可能性がある。
中国の権力闘争では、完全な敗者は不正の有無にかかわらず、「腐敗分子」として断罪されるのは権力の集中時にはどこでも起きるものだ。
7月4日にはロケット軍の元副司令官が死去したが、当初「病死」と伝えられたものの、その後、自殺だったことが明らかになっている。
粛清がOBにも及び、追い詰められたとみられるが、情報部門による暗殺の可能性もある。
同軍以外でも、国家主席ら政権最高幹部の警護を担当する党中央警衛局長(中将)をかつて務めた
王少軍氏
の死去が7月24日に発表されたが、これも病死とされたものの、公表が死亡から約3カ月もたっていた。
こうしたことから、死因を疑う声が聞かれるが調査となることはないだろう。
そもそも、こうした異変が起きているのはロケット軍だけではない。
サイバー戦や宇宙戦などを担当する戦略支援部隊の
巨乾生司令官
も公式行事の欠席が続き、失脚のうわさが流れている。
同部隊では昨年、宇宙部門の責任者だった副司令官がいったん、第20回党大会の代表(代議員)に選ばれた後、外されたがうえ、いまだに消息不明で、規律検査委に拘束されたと考えられる。
さらに、中央軍事委の装備発展部は7月26日、全軍の装備調達に関する不正の情報提供を求める公告を出した。
対象期間は2017年10月以後とされた。
習政権が2期目に入った第19回党大会以後ということだ。
習主席の盟友で、軍の制服組トップである中央軍事委の
張又侠副主席
は装備発展部の初代部長だった。
その後、第19回党大会直前に部長を退任していたので、対象外となる。
主な対象は習政権2期目と重なる第2代部長の時期にあたり、李尚福・現国防相が部長だった頃である。
李氏は戦略支援部隊の副司令官・参謀長を務めたこともある。
また、全国人民代表大会(全人代=国会)常務委員会は9月1日、軍事法院(裁判所)の程東方院長を解任した。
在任わずか8カ月の出来事だ。
通常の人事と異なり、後任の発表はなかったため、
何らかの事情
で急きょ更迭された可能性がある。
軍内治安部門の要職に異動したとの説もあり動静はわからないままだ。
一方、党中央と中央軍事委は
軍内を政治的に引き締めるキャンペーン
を展開した。
7月以降、習主席の東部戦区視察や全軍党建設会議、党政治局集団学習などで繰り返し軍内の党組織建設や反腐敗の重要性を強調し、党の軍に対する「絶対的指導」の堅持を求めた。
軍内部での権力を持っていた胡 錦濤に属している軍属のあぶり出しなどを含め軍側の忠誠心を確認する必要が生じているようだ。
習主席は9月9〜10日の20カ国・地域(G20)首脳会議(インド・ニューデリー)も欠席し、代わりに政権ナンバー2の李強首相を派遣。国境問題を巡る中印対立が原因との見方もある。
しかし、8月22〜24日に南アで開催された新興5カ国(BRICS)首脳会議で、習主席はインドのモディ首相と同席している。インド開催に不快感を示すのが目的ならば、政権最高指導部(党政治局常務委)メンバーではない
王毅外相(党政治局員)
といった「軽量級」を出すところだ。
そのBRICS首脳会議で、習主席はビジネスフォーラムで予定されていた演説を急きょ取りやめた。
同行の閣僚に代読させたため、体調を崩したのかと思われたが、その後の行事には参加したため、何らかの緊急事態に対応していた可能性がある。
そして、習主席は南アから帰国した直後、北京ではなく、新疆ウイグル自治区のウルムチで大規模な会議を開催した。
外遊同行者や地元高官に加え、わざわざ北京から
軍制服組首脳
治安部門トップ
らも参加させ、「安定」の重要性を何度も強調した。
また、前述の全軍党建設会議(7月20〜21日)は軍事関係の最重要行事だった。
しかし、中央軍事委を率いる習主席は「重要指示」を伝えただけで、暗殺をそれたのか出席しなかった。
9月2日のグローバル・サービス貿易サミットも、北京市内で開かれたにもかかわらず、オンラインで演説した。
習主席の一連の行動はあたかも、自らの身の安全や政情の安定に関して何か不安を感じているかのような印象を与えた。
その主な原因が軍との関係にあるとすれば、3期目の習政権は重大な不安定要素を抱えていることになる。
毛沢東、ケ小平時代を見れば分かるように、中国共産党政権では往々にして、軍の意向が政局の行方を大きく左右している。